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夢は夢のまま

教科書もマニュアルもない人生という学校で、共に学び、支え合い、卒業を目指すためのブログ。

一人暮らしは気楽か

「一人暮らしはなかなか大変だね。」



母宛に兄からそんなメールが来たらしいです。

私の兄は数年前から隣町で一人暮らしをしております。
最初に引っ越しの手伝いで行ったっきりで、今はどんな暮らしをしているかは分からんとこが多いです。


兄が家を出た頃の母は何というか……。
ホント「抜け殻」というか、「空の巣症候群」というような状態だったものです。
母親にとって息子は「永遠の彼氏」みたいなところがある気がします。

連絡なんてあんまり寄越さないから、連絡がくると母はいつも嬉しそうです。



私は会うたび毎回、

名探偵コナンはまだ集めてるの?」

「いつも何を食べてるの?」

と聞いてることが多いです。

名探偵コナンが続けば、単行本が兄の狭い家の床を抜くのではないかと心配しております。(笑)
あと、狭い流しで料理とか出来なさそうだし、食生活が心配なのです。



母から冒頭の話を聞いて、

「どういう理由で?」

と聞き返してしまいました。



一人暮らしが大変と聞いて想像したのは、「家賃が払えないなど、金銭的な問題」か「家事労働その他もろもろを一人でやらなければいけない時間や労力の問題」かなと。

今は兄の職場は忙しい時期なので、おそらく後者の方かなと思います。



一方私は昨日母と軽くバトルしてしまいました。
プロレスの類いではないですよ。(笑)


お互いの私物がお互いの領域を荒らしている、という些細な理由です。

私の母はどんどんモノを増やすので、狭っこい家がより狭くなるのです。


そこから火がつき、母が普段家事を全然手伝ってくれない不満が爆発して、「出来る範囲で構わないから、やってくれてもいいじゃん」と、あれこれ言いました。


昨日はホント、「人と一緒に生活するのは辛いなー」と落ち込みました。
自分の部屋なんてあってないようなもんだから、ブログだってパソコンじゃあんまり書かないし…。

そんな矢先に、兄から先のメールがきました。


今日は電車に揺られながら、

「昨日は言い過ぎたかな……。」

とチクチク感じておりました。


私は言いたいことを言えずに溜め込むよりも、お互い思っていることをぶつけ合う方が、お互いのためになると思っているのです。
その方が、相手が何を思っているか少しは分かりますし。


今日帰ったら母が家事を手伝ってくれました。
少し言い過ぎて申し訳ない気持ちと、正直にありがたかったです。



一人で生きる方が楽でもあるし、譲歩しあって誰かと生きるのも一長一短だなと感じました。
どちらの道を選んでも、それなりに大変だと思います。

『R25』がなくなるなんて知らなかった

以前『R25』というフリーペーパーが駅やコンビニなどに置かれておりました。

25歳ぐらいの男性対象の小さな冊子だったのですが、25歳でもない女の私が読んでました。
自分が通りかかった時に持ってくる場合もありましたし、兄が私の分も持ってきてくれる時もありました。


最近は冊子でなくなりweb版のみで続いていましたが、今月でなくなるそうですね。

「うぇー!?(@_@)」


昨日そのことを知って驚きました。



政治経済からエンタメといった幅広い記事がいくつも載っていて、お金を出してもこういった雑誌を私は見たことがなかったので、かなり気に入って読んでおりました。

この質を広告収入とかだけでどこまで続けていけるのだろう……と思っていましたが、とうとうなくなってしまうのですね。



私は特に石田衣良さんの『空は、今日も、青いか?』というエッセイが好きでした。

内容は読者層の男性に対するエールのようなものがほとんどでしたが、私自身も元気づけられたり、考えさせられたりしたものが多かったです。


その中で私が印象に残っている記事は、彼が秋葉原であった事件の犯人に言及した回でした。


秋葉原の事件があった時私は無職でした。

その年に私は大学を出ましたが、ブログで書いている通り、4月に就職してすぐに辞めてしまいました。
次の仕事も決まらず、方向性も見えず、この先どうなるか分からなくて、人生終わった感がありました。


犯人が非正規雇用の若者というだけで、当時の私にとってインパクトが強いものがありました。

被害者の方が懸命に人命救助に当たっていたドキュメンタリーとかも後に見たこともがありますが、こうなる前に何か出来なかったのかと思う事件です。



エッセイでは「自分の未来を諦めてはいけない」といったようなことが書かれていたと思います。

たとえ今、仕事が上手くいかなかったり、友人や恋人に恵まれていなくても、今の苦しい状況にはいつか終わりがくるということ。
その時を信じて今を踏ん張れるかが大切にといったようなことが書かれておりました。


確かに今苦しい状況に置かれていて解決策が見えなくなると、周りの人間に当たったり、自分自身を責めたりしたくなります。
なかなか「未来を信じろ」と言われても、受け入れられなかったりします。

それでも石田さん自身がフリーターを経験された実体験を元に、下の世代の方に向けられた励ましの言葉なのだと思います。



私自身もあれから10年ほどの間に辛いことの方が多くありましたが、その間に色々な出会いがあり、こうしていつかは振り返られる日が来るのだ思いました。



たくさんの楽しみと気づきを与えてくれた媒体が一つ、この世から去ることは寂しいです。

ただ私のようにこの雑誌を楽しみに読んでいた方はいっぱいおられたのではないかなと思います。



今苦しい現実を生きている方も、日々の憂いを昇華出来る日が来ることを願っております。

生きてることが辛いなら

私が20代の半ばに漫画の専門学校に通っていた時の話だ。

その時の講師が、キャラクターを作る練習として、
「電車に乗っている人のこれまでどうやって生きてきたか想像してみると面白いよね。」
とおっしゃっていた。


朝電車に揺られながらその事を思い出していた。

周りを見渡すとスーツ姿のサラリーマンばかり。
没個性でその人の人生を読み取ることは出来ない。
せいぜいどんな腕時計が好みか分かるぐらいだ。



先週のある日、帰宅時間に人身事故の影響で電車が遅れていた。
圧死するくらいのすし詰め電車で、自分の肩の骨が「こきっ」っとなって驚いた。
満員電車では隣り合う人々を「もはや人ではなくモノ」ぐらいにでも思っていないと精神的に参ってしまう。



ネットでは人身事故の生々しい話が載っていたが、どんな人が運ばれていったかは分からない。

そこに至るまでどんな人生を歩んできて、何がその行為まで至らせたのだろう。



以前『ありふれた奇跡』というドラマがやっていたのを見ていた。
ざっくりとしたあらすじは、電車に飛び込もうとする中年男性を近くにいた男性と女性が止める訳だが
、2人とも自らが死のうとした過去があってーーという話だった。



生きていれば表面に現れない、それぞれの事情があるわけだ。
でもことが複雑で繊細すぎて、他人が触れられない領域であったりする。



私は前の職場にいた時、ホームで電車を待ってたら知らないおじさんに話しかけられたことがあった。

普通は警戒すべきなんだろうが、その時は毎日会社で無視されたり辛く当たられていたせいか自然と話を聞いてしまった。

おじさんは自分の仕事の大変さらしきものを語りつつ、しきりに「俺はどうなってもいいんだよ」と言っていた。



現実の問題が解決するか否かということより、ただ今の現状を分かって欲しいと思う時があると思う。

ただ皆が皆、自分を大切に思ってくれたり、話を聞いてくれる人に恵まれている訳ではない。


今生きるのが辛いと思っている人に、何の事情も知らない私が「生きていて欲しい」と言うことは救いにもならない。
けれど、色々な人の人生を思って、色々な苦しみを抱えて生きている人がいることを想像して欲しいと思う。

彼女が見ていた桜の川

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高校時代川のそばに住んでいた友人が、こんなことを言っていた。


「桜の季節は川に桜の花びらがいっぱいになって綺麗なんだよ。」



彼女は私と同じ市区町村に住んでいて、高校で初めて知り合った方だった。
私と同じ母子家庭で、私との共通項が他の人よりあったので、私は密かに親近感を持っていた。


大学生の時に彼女は少し離れた市区町村に引っ越してしまった。
私は彼女が話していた「桜の川」の景色がどんなものなのかずっと気になっていて、この季節になると川のそばに行こうと試みている。


でも私が行くと、毎回川に花びらなんて浮かんでいない状態だった。
心の中でまだ見ぬ景色を想像しつつ、彼女が偶然見かけた一回性のものなのかもしれないという疑念もわいてきていた。


今年も桜の季節が来て、川に吸い寄せられるように行ってみると、⬆のような景色を見た。



「あっ……これがそうなのかな。」


やっと辿り着いた景色がそこにある気がした。
もしかしたら、彼女が見ていた景色とは違っているのかもしれないが。




桜の花びらが散るのは葉桜の頃だと思っていたが、今回行ってみてまだ枝に花びらがたくさんあるうちでもこんなに散ってしまっているのかと少し驚いた。



散った花びらは流れに流れてどこへ行くのだろう。


よく人が使う平凡な例えで申し訳ないが、
「花が散るように人間の命も皆が思うより短し」
と思った。


今まで生きてきた30何年が長いのか短いのかは分からないが、色んな人がおったものだ。

人生辛いことの方が多かったけど、今やれることを精一杯やっていれば、「未来がどう」とか「過去がどうだったか」なんて気にする必要はないよね。


私は人の気持ちが分からんかったり、毎日とちってばっかだけど、そんな中でもどこかに心通じる人がおるのではと思って淡々と日々を過ごしているのです。

人工知能は感情を持つようになるか

先日『アンドロイドレディのキスは甘いのか』(黒川伊保子著,2017,河出書房新社)という本を図書館で借りて読みました。

タイトルを見て少しその場で固まりましたが(笑)、人工知能の話とか関心があったのと、ぱらっとめくったら読みやすそうだったので借りてみました。



内容の大筋は、

人工知能が人間を越える日が来るのか」


という問いに対して、タイトルから察しがつく通り「アンドロイドは感情を持ちうるか」という観点から著者の意見が述べられておりました。


計算や素早く情報を処理する能力などにおいては人間は人工知能には勝てません。
しかし、「人工知能には感情は持てない」が故に人工知能は人間を越えられないと著者は述べておりました。



人工知能を人間らしく振る舞うようにさせるとしたら、人間の行動パターンをいくつも覚えさせます。
記憶した情報を元に状況に応じて、「適切な」対応を取るようにします。
しかしそこには何の感情の働きもありません。


「寂しい」と話かければ、「どうしたの?」と言ってくれるかもしれません。

人間であれば、その人が大切で何とかしてあげたいからいうのかもしれませんが、機械はただ「寂しい」というワードに対して「適切な」言葉を引き出しているに過ぎないというわけです。




誰かのブログを読んでいる方だったらうなずけるだろうという例が本書にはありました。


このワタクシのブログ、人工知能が書いてるんですよ。
ということだったらどうでしょうか。

私の今まで書いたブログの記事の文体とか、写真や絵の載せ方を記憶させておいて、あるキーワードを毎回与えて自動更新にしておくという。


このブログは風が吹けばどこかに吹き飛んでしまうくらい「うっすーい」内容の「しょーもない」ブログですが、少なくとも「うっすーい」「しょーもない」ヤツが書いているということは分かるでしょう。

ただ実際、私がスマートフォンを片手に書き書きしてるかは読んでくれている方には分からんのです。



小説や漫画でもよいのですが、作品を通じて読者は作者の人間性を感じとるもんです。
それによって作品や作者自身に惚れ込んだりするわけです。

それが全部「人工知能」が書いてたりしたら、モロがっかりしますよね。
「何だ全部作りもんやん!!」
って発狂してしまうかもしれません。(笑)


安心してください。(私が)書いてますよ。
(って古いな)




もしアンドロイドが感情を持ったら人間には勝ち目がなくなるんでしょうか。
ハンサムで気配りが出来たり、綺麗でナイスバディーなアンドロイドが出てきたら、人は色んな意味で「わずらわしくない」アンドロイドとの人生を選択するのでしょうか。

まぁ、そういうアンドロイドが開発されたとしても、その頃には私は生きておらんだろうので、その点はあまり心配はいらんかねー。(^_^;)

それに、より人間に近づけるためには「人間とはこういうものだ」という定義が必要なわけで、そんなことが簡単に出来れば哲学や心理学やあらゆる学問が要らなくなってしまいますねん。




私は「アンドロイドが感情を持ってうんぬん」という話が結構好きです。

ただ現実の人間は完璧でないところがあって、時に予想もつかないことをしたり言ったりします。
私は器用そうな人より不器用そうな人の方が好きですが、やはり不器用な人の方が人間らしいからかもしれませぬ。



どんな人であろうと、後にも先にも同じ人は存在しません。
鋼の錬金術師』でエルリック兄弟が体を失っても亡くなった母親を作り得なかったように、「人間」を作ろうとしてはいけないのかもしれません。

人工知能が感情を持つのはフィクションの世界だけに留めて、人間はたった一つの人生を喜怒哀楽を経験しながら生き抜くのが一番かと思います。

社会人一ヶ月目で仕事を辞めた時のはなし

今日は通勤途中の駅で新社会人とおぼしき人を多く見かけた。


私が働き始めたのは10年ぐらい前の話だ。
苦しかった就職活動を突破して、やっと決めた職場であれば、皆何年か働く心づもりでいるはずだ。

初任給とやらが出れば、親に何か形に残るものとかも贈れるだろう。
今までとはがらりと環境も変わるけど、何とか頑張っていかないと。



そんな思いに反して、私は新卒で働き始めた会社を一ヶ月で辞めた。

初日から無理だと思った。
正確に言うと初日前から無理だと思った。


入社式の前日の3月末日に呼ばれて、何をするのかも事前にあまり知らされておらず、「顔合わせぐらいだろう」と思っていた。
確かに軽い食事会のようなものだったので、終わったら解散になると思っていた。


それが職場に連れていかれ、仕事を命じられた。
帰宅したのは10時頃だったろうか。

入社式も今となっては何をしたのかは覚えていない。
ただ多忙な職場だったので、仕事が怒涛のように押し寄せてきて、ついていくので精一杯だった。



職場で急いでいたらこけて、足をおもいっきり捻挫した。
痛くて床に寝た状態で動けずにいても、同僚は横を通りすぎていくだけで、全く声もかけられなかった。
思わず涙が溢れてきた。



「こんな目にあうなんて私悪いことしたのかな。」


賃金と引き換えに奴隷になったような気がした。

毎日表情も失われ、休みはただ死人のように寝てるだけ。
同期入社の人は私のようにはなっていなかったから、私が社会人失格なのだと思った。



毎日遅くに帰っているのに、毎日のように人身事故で電車が止まって帰りがもっと遅くなる。

もう限界だと思った。



会社に電話して「辞めたい」と言った。
そうしたら、
「まだ入社してたたないのに辞められるわけないでしょ?」
と責められた。


何回も仕事中に呼び出されては、「もう無理です」と告げて辞めることになった。

交通費も定期代は3ヶ月分を立て替えで購入するように言われていて、他支店に出向いた時の支払われていない交通費も支払われなかったため経済的に苦しかった。

それでもあのまま続けてたら、今こうして生きてなかったかもしれない。



辞めた後半年ぐらい転職活動をした。
正直職歴にもならない職歴では相手にしてくれるところは少なかった。

それでも自分が正しいと信じていた「社会人として当たり前」みたいなものは、会社によって色々違う点もあると就職活動をしてみて分かった。



今日駅を歩いていたら、「そんな時代もあったね」と話している人がいて、中島みゆきさんの『時代』が頭を流れていた。


今の日本に満足している人はどのくらいいるのだろう。

人の性質なんて色々だから、もっと多様な生き方があってしかるべきなのに、「規定のコース」を外れたら不利な状況になってますます生きづらくなる人もいる気がする。

別に皆がゴージャスな生活を望んでる訳ではないと思う。
衣食住事足りて、たまに自分にささやかな楽しいご褒美をするような生活でいいと思う。



それなのに、それすらままならない生活をしている人もこの世にはいるだろう。

今の自分の置かれている状況が辛い人も、未来を信じて生きられることを祈っている。

『おおかみこどもの雨と雪』の主人公は誰だろう

先日TVでやっておりました『おおかみこどもの雨と雪』を録画して見ました。

何度かTVでやってる他の細田監督作品が好きで、この『おおかみ~』も過去に録画したこともありますが、そのまんま放置していて今回初めて見ました。


ざっくりと把握していたストーリーは、「母一人子二人で奮闘する」ぐらいなもんでした。
ただタイトルから察するに、子供の方がメインなのだろうと思っておりました。


見終わった感想はというと。



「あれっ、主人公は誰なんだろう…………。」


というのが正直なところです。


監督の描きたかったところが子育てだとしたら、もちろん母親の花が主人公なはずです。

ただ物語はおおかみと人間の血をひく「おおかみこどもがいかに生きていくか」というテーマもあるので、だとしたら子供が主人公なはずです。


何だろう。
表現力不足で上手く言えないのだけど、「おおかみこどもを育てる母親目線」と、「自らがおおかみこどもである子供目線」は両方入れてしまうと「誰が主軸」なのか分からなくなるのではーと思ってしまうのです。


もし母親の花が子育てに奮闘するを主軸にするなら、何も子供が「おおかみこども」でなくても充分成立する気がします。
学生のうちに子供が出来てしまい、夫が早々に死んでしまい、農村で子育てするというだけでもかなり
ドラマチックな展開ですよね。

子供が出来るということは、それだけで人の人生を180度変えてしまうぐらいな訳です。
子育ての大変さは、おおかみであろうとなかろうと変わらんでは~と思うのです。



話を子供の雪と雨に主軸を置くなら、母親の過去の話だけでなく「おおかみおとこ」がどうやって生きてきたかというエピソードが欲しいです。

映画では花は「(彼が)生きている間に聞いておけばよかった」と言っておりますが、花自身は知らなくても、「観客」は知っておくべきだと思います。



「おおかみおとこ」はおおかみでもあり、人間でもあるという存在です。
周りに同じ境遇の人なんて当然一人もおりません。

彼がどういう環境で育ったかは不明ですが、人間の家庭に対する憧れがあるところから見ると、小さい頃から人間社会に身を置いて、周りの子供達と自分の置かれた環境の違いにずっと孤独感を感じてきたのではないでしょうか。


作中では子供達はあまり父親のことを知りたがりませんでしたが、私は子供達が大きくなるにつれて父親である「おおかみおとこ」がどうやって生きてきたか知りたくならないのかなと思います。

だって母親の花はおおかみの血を引いていないので、子供達の体の変化や自身に対する周りの態度とかを理解するのが難しいからです。



私がこの映画で一番好きだったシーンは、姉弟が自分の選ぶ道で対立して取っ組み合いをするところです。
姉弟にとって自分の境遇を理解出来るのは、お互いしかいない訳で、自分の考えに賛同させて「私(僕)の選択が正しい」と思わせたくなるのも分かります。


二人の生き方が違うのは当たり前な話です。
私は「性格を決めるのは生まれか育ちか」というテーマが結構好きですが、きょうだいはホント同じ親でも性格は色々です。

姉の雪が学校に通って、周りの子達を見て、「人間として生きたい」というエピソードは納得出来ます。恐らく彼女の父親もそうだったのかと思うので。

ただ弟の雨がおおかみとして生きる道を選ぶ動機が私には弱く感じました。
元々ひ弱で虫も苦手で、オール電化の家に住むしかないような少年が「本能に目覚めて」、生き方が変わるとは思えんのです。

彼は山奥で「師匠」に何を教わったのでしょうか。
人間として生きる道を全部捨ててまで進む道なのでしょうか。


母親と一緒に見た檻に入れられたおおかみを、雨は「寂しそう」と言ってました。
動物園で生まれ育ち、野生を知らないおおかみの寂しそうな姿は、野生の道を選んだ雨の行く末のような気がしてなりません。


人間として生きるにしても、おおかみとして生きるにしても、ずっと自分の性質と付き合っていくしかないのです。
雨は人間社会に馴染めず、野生の道を選んだのかもしれませんが、野生動物と自分の違いに葛藤する日が来るのではないかと思ってしまいます。



ハーフの方で「顔は外国人なのに英語が話せない」という話をしているのを聞いたことがあります。

どちらかの姿しか認めてもらえないとしたら、人生かなり生きづらいものになります。

全ての人にとは言いません。
自分の人間的要素も、おおかみ的要素も両方持った個人として認めてもらえる環境こそがその人の居場所かなと思います。



私の家は母子家庭でしたので、映画に共感する部分はかなりありましたが、人間とおおかみとの間でアイデンティティーの葛藤みたいなストーリーが主軸だったらドはまりしてたかもしれないですね。