夢は夢のまま

教科書もマニュアルもない人生という学校で、共に学び、支え合い、卒業を目指すためのブログ。

生きるとは自分の可能性を最大限に伸ばすこと

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最近何かと忙しかったり、精神的に余裕がなく、ブログの更新が出来ませんでした……。

一番何がツラいかというと、無職の状態からくる「焦り」があるかと思います。


仕事を辞めてからずっと転職活動をしておりますが、正直芳しくないです。
年齢が若くないので、まず応募できる企業が前回の転職活動時より少なくなり、それだけで気持ちが薄暗くなるのです。

書類選考も以前より通りづらくなり、面接をしてもらえても、担当者の方から心ない対応や言葉遣いをされたりしました。
やっと決まりかけた就職も、いざ働こうと思ったら、聞いていた条件と違っていて就職を諦めたりとかなり落ち込んだりもしました。


私は、
「好きで何回も仕事を辞めたわけではないのに!」
「ささやかでも生活が出来るくらいに暮らしていきたいだけなのに!」
と思います。

親も体が弱いし年だってとっていくので私が養っていかなければいけないし、大学は奨学金を借りて行ったので、それも返していかなければなりません。

経済的にもあまり余裕がないので、「このまま食べられなくなって飢え死にかしら……」と考えたりもしました。


仕事は「選ばなければ何でもある」と言います。
でもすぐに辞めなければいけなくなるような職場はもう卒業したいです。

そんなことを考えてばかりいて、夜も寝れなくなることもありましたが、最近は少し落ち着きました。



思えば私のこれまで人生は、悪くなることがあっても良くなることはなく、次々にツラいことばかり
でした。
友人の方が経済的に恵まれていて、自分で学費を払わずに大学にもいけるし、好きな仕事に就くための学校にも通わせてもらえる、と羨ましく思う時期もありました。




欲張っても叶わぬものは叶わぬのです。
自分は「今あるもの」で勝負するしかないのです。

経済的に裕福でなくても、機転が利く頭がなくても、誰とでも打ち解ける社交性がなくても、自分の今持っている能力で生きていくしかないのです。



「生きる」とは「自分の持っている能力を最大限に伸ばすこと」
と思うようになりました。

何度も人生を諦めようかと思うこともありました。

けれど、何もせず死ぬのも、何かをして死ぬのも同じ死ぬには変わりありません。
何も尽くす手がなくなるまで、「まだ何か出来るんじゃないか」と自分に問いかけて、自分に残された可能性を伸ばしてやるのが己がすべきことなのではと思います。

いつか闘い疲れて倒れるまで頑張っていこうかと。



少し前までずっと沈んでましたが、サッカーのクラブワールドカップの決勝戦を見たらすっ飛びましたよ。(笑)
「勝てないに決まってる」ムードを一気に吹き飛ばすような見事な試合でしたね。
(私はサッカーについてはど素人なのですが、母がサッカーファンなのでつい見てしまいました。(^_^;))

孤独死について考えてみた

先日TVの『NEWSな二人』という番組で「孤独死」がテーマでやっておりました。

このテーマ、もはや他人事ではないですね……。


番組によると、近年若年層の「孤独死」が増えてきているそうです。
遺品整理をする清掃業者の方が取材に応じていて、若年者で孤独死をする方の例として、引きこもりの方が自ら死を選ぶというケースがあるそうです。

ある程度年をとってからの問題かと思っておりましたか、若いうちにもう未来を絶望視してるとは現実はかなり深刻ですね。


よく「孤独死」の問題が取り上げられれる時に、「結婚した方がいい」とかいう話になりますが、「これでは問題解決にはならんでは」と毎回私は思います。


たとえ結婚しても夫婦が一緒に亡くなる訳ではないので、先にどちらかが亡くなったら一人になります。

その残された方が、近所付き合いや知り合いとの交流がなかったり、子供がいなかったり、もしくはいても何らかの理由で交流がなかったりもする訳です。
「結局結婚しようがしまいが「孤独死」じゃん!」
と思ってしまいます。


この問題に対して番組では、ゲストの方が年配の方と若者が一緒に暮らすシェアハウスなど、海外の例を紹介しておりましたが、時間の制約のためなのか、あまり掘り下げて触れられませんでした。


孤独死」に関して、「もっとつながりを持ちましょう」とかもよく言われますが、なかなかそう簡単にいかないものかと思います。


若い方で人と上手く繋がれない方は、家族以外との交流がない場合が多く、家族が亡くなってしまったら本当に一人になってしまいます。

辛うじてネットの世界で誰かと繋がっていたとしても、その人に何かあってアクセスが途絶えたら、「辞めたんかね~」くらいにしか思われない気がします。



私としても色々対案を考えてみたのですが、なかなかいい案が浮かばないもんです。

何日かおきに生存確認をするシステムを作るといったって、なんか「私生活に干渉されたくない!」というふうに思うだろうし。
そもそもずっと誰とも交流がなくて、自殺するくらい追い詰められてる人の場合、自分が亡くなった後のことなんて考える余裕がないかと思います。


私も「孤独死」予備軍です。
自分が動かなくなった後の、自分の事後処理が出来たらどんなにいいもんかと思います。
なるべく人に迷惑をかけずして人生を終えたいものです。

今から出来ることとして、なるべく物を減らしておこうとかアホなことを考えております。
もし、「一週間何の連絡もなかったら連絡をもらえるシステム」とかあったら取り入れるかもしれないですね。

ブログは会社経営のようなもの

ブログを始めてみて、何だか「会社経営みたいだな」と思うことがあります。

 

ブログをやっている人の目的などはそれぞれかと思いますが、主に以下の理由があると思います。

 

☆「誰かの役に立ちたい」

ブログを始める動機のひとつに「誰かの役に立ちたい」というのが挙げられると思います。

自分の持っている知識や経験を表に出すことによって、それを求めている誰かの役に立つわけです。

 

会社組織も「誰かが必要としていること」に応えるために存在しているわけで、ブログもそれによって収益を得ている人がいるので、個人経営の会社みたいだなと感じてしまいます。

 

☆個人の日記、備忘録として

これは利益とか考えず、書くことを楽しむとか、日々の記録を残しておきたいという動機です。

無料で手軽に始められるサービスが普及したことにより、こういった目的で利用する方が増えたのではないかと思います。

 

 

では、中間の人は?

 

誰かの役にも立ち、かつ日常の日記的な内容も載せるというスタイルです。

私は役に立たないような日頃のあれこれを載せていることが多いですが(笑)、誰かの役に立ちたいという思いから始めたわけです。

ですが何かの専門知識がない私が実践的な情報を提供できるはずもなく、ブログは「意外と難しい」と感じる点でもあります。

 

ブログは日記のようなものだから結果を求めなくてもよいのでは、と思う一方で、「人がどういう情報を必要としていて、自分はそれにどう応えていくか」を模索することも、どんな職業に就いたとしても必要な能力のような気がします。

というわけでブログをそういう方向で運営していくのも勉強になるかなとも思ったりもします。

 

ブログを実際の会社だとすれば、誰かの役に立たなければ収益を上げられず、会社は維持していくだけで費用がかさんで負債をかかえていくだけになります。


そういう場合は会社の経営方針を見直して改善策を探るか、それが難しければ、見切りをつけて会社をたたむことを考えなければならなくなります。


私は無料でブログをやっているので赤字になることはなく、私が辞めると決めるまで続けられる環境にあります。

今の私の会社(ブログ)は「何の会社やねん?」というくらい看板商品がないブログですが、このような内容で書いていけないかと考えたりはします。

 

*労働にまつわる環境面や精神面で困難を感じている方に役立つ情報を発信するブログ

すでに書かれてる方が多いですね…。


*性格が私のように人見知りで苦労している方向けの経験談ブログ

こちらも書かれてる方がいらっしゃいますね…。


*私が読んだ本や見た映画などですすめたいものを書くブログ

すでにポツポツ書いてますが、特化すべきかどうしようかな。


*夢はあるが、諦めて働かざるを得なくなった人の人生ブログ

もともとはそういう方向で今のブログのタイトルをつけました。



物事を同時進行するのがあまりにも苦手なので、今後ブログを続けるか辞めるか色々考えておりますが、考える余裕があるのは無料のいいところですね。(^_^;)

 

階段で転んだ話

階段ですっ転んで腰痛になりました。

ホント情けないです…。(+_+)

 

 

先週木曜日に関東地方で11月にしては珍しい雪が降りました。

ニュースで転倒した人の話がやっているのを、気の毒に思いながらも「自分は大丈夫だろう」なんて聞いていたもんですが、まさか本当にコケるとは…。

 

私が住んでいる辺りは夕方にはもう雪は残っておらず、地面が濡れているだけだったのですが、歩道橋の螺旋階段で「ズルっと」やってしまいました。

その時は足を擦ったぐらいだったのですが、帰ってきたらだんだん腰が痛くなり、一週間がたっても相変わらず痛かったもんでしたので、今日病院に行きました。

 

レントゲンを撮ってみたところ、特に傷んでいるところはないとのことで、シップと塗り薬が処方されました。

 

 

実は先週、月曜日にも別の階段でコケました。

その時は奇跡的にも手に少しかすり傷が出来たぐらいで、後は痛みもなく「これ幸い」なんて思っていたところにまたコケるとは……。

 

 

病院で先生に、「実は先週2回もコケて…」と話したら大爆笑されました。

「先生、笑ってる場合じゃないですよー。」トホホ。(ToT)

 

 

階段でコケたせいで、小学生の頃の恥ずかしい記憶が蘇ってしまいました。

 

私が小学校に入学してすぐに、担任の先生がクラスの生徒を率いて校内を見て回ることがありました。

まず背の順に並んで、隣りになった男女で手をつなぎながら「図書室はどこだ」、「保健室はどこだ」と案内されました。

 

その時階段を降りるときに私がつまずいてコケてしまいました。

よく芝生の上でくるくる寝転がる人がいますが、あんな感じで上からころころ落ちていきました。

そしたら私と手をつないでた男の子が大爆笑してました。

 

「笑ってる場合じゃないやろー。ちっとは心配せい!」

って感じですよね。

その時笑われたことだけ覚えてて、先生がどうしてくれたとか覚えていないという…。

多分その後おおごとになった記憶もないので、かすり傷程度で済んだんでしょうね。

 

気が抜けている時はケガしやすいので注意ですね。

特に無職だと医療費が痛い…。(苦笑)

 

結婚するきっかけがない

結婚には程遠い私が語るのもヘンですが、なかなか「きっかけ」がないと結婚は出来ないものという気がします。

私が好きな漫画家こうの史代さんの作品に『長い道』という漫画があります。

簡単なあらすじはというと、何でも人にあげてしまう父親が、何でももらってきてしまう父親(の息子)に娘をあげてしまうのです。(笑)
娘の道は息子の荘介と一緒に暮らし始めるのですが、荘介は浮気者だし失業するしギャンブルばかりして甲斐性のない奴です。

荘介は派手な女性が好みで、地味な道のことはタイプではなく、初めは厄介に思ってました。
それが段々一緒にいるうちに荘介の態度が好意的な方へ変わっていくわけです。

家事をそつなくこなし、浪費しまくる荘介に対しても責めるでもなくバイトしたり節約する道は、「父親が行かせたから」尽くしているのか、「荘介が好きだから」尽くしているのか、想像してみると結構楽しめます。(笑)

 

普段から「恋愛と結婚は別物だろー」というのが私の考えです。
今の世では恋愛結婚が多いですが、理想が強ければ強いほど実際結婚してみて現実に失望してしまうのではないかと思ってしまいます。

道みたいにいきなり結婚(同棲)してしまう方が、初めからあれやこれやと期待しなくて済むし、段々お互いのよいところとか見えてきて、そういう方が気楽かもしれないですね。

 

同世代が「恋愛も結婚も面倒だ」と言ってるのも同感なところがありますが、私の場合は別に「嫌だー」とまでは思ってはいないです。

私の父親が飲んで暴れていたので、母は私が全く結婚しようともしてないのは、結婚に対して失望してるからだと思っていたようです……。

そういう人を選ばなければよいだけのことだと思ってたので、聞いて「えっ?」となったし、「私の性格見てたら分かるやろー。」と言いたくなりました。

自分は人と関係を上手く関係を築く自信がなかったりするので、出会いに消極的な感じです。
それに仕事が定まらず将来の見通しが全く立たないからそこまで考える余裕がないというのが現状です。トホホ……。

なかなか人と好になる「きっかけ」って難しいものと思っております。

 

経済面の問題で結婚出来ない人もいる現代ですが、正直なところ、低所得の人は今後も増える気がしますし、雇用環境が劇的に改善する見込みはないと思います。
そんな社会でも生きていくしかないわけで、人生生きているのが辛かったり、悩んでる人同士が助け合うという意味での結婚もありではないかと思います。

風邪は薬で治らない

昨日母が風邪を引いたので、かかりつけ医がいる病院に付き添って行きました。
電車で一時間ぐらいのところです。


いつも診てもらっている医師がちょうどいない日だったようで、外来で別の医師の診察を受けました。

症状を聞かれ「咳が出る」、「喉が痛い」、「鼻が出る」……
など話したら、
「どの症状が一番辛いですか?」
と言われ、
「どれもです。(ToT)」
と話したら、

「実は風邪を治す薬というものはないんですよ。」



「…………へ?」



「風邪を治すには休息と、しっかり食べて免疫を高めることが必要です。」



とのことでした。


うそぉ。(@_@)
私はこれまでパブ○ンとかの風邪薬が、風邪菌に集中攻撃してやっつけてくれてるものと思っておりました……。
よくよく考えれば鼻が出るのは、「自分の」鼻がウィルスを排除しようとしてるからなんですよね。
無知でした。


私も以前より風邪を引きやすくなりました。
今も母の後を追うように喉が痛くなり、咳も少し出てやられ始めております。



病気にならないために免疫力を高めるのは身体だけでなく、精神にも当てはまる話かと思います。

ストレスとなるもの(ウィルス)は絶えず身の回りにあるわけで、自分の精神状態が落ち込んでいたりする(寝不足や栄養不足など)と、より一層ネガティブな方へ引きづられやすく(病気など)なります。


例えば自分の置かれている環境が、仕事であれば業務量過多やパワハラなど、学校であればいじめなど、家庭内であれば家族同士の言い争いや虐待など、絶えず強いストレスがかかる環境であれば、他よりもウィルスだらけの環境にいるようなものです。

どんな精神力(免疫力)を持っていても、そんな環境にいれば精神に支障を来すことは目に見えてます。

風邪を治す薬がないように、ストレスをなくす薬はないと思います。
あるとすれば風邪薬のように今出ている症状(気分が落ち着かない、眠れないなど)を緩和してくれるだけのものです。


それに対抗するためには、「ストレス(ウィルス)だらけの環境から脱する」か、「精神力(免疫力)を高める」しか方法はないと思います。

精神力(免疫力)を高めるには、本とか色々な情報を参考に考え方を変えてみるとか、失った自信を取り戻すために自分が苦にならない活動を極めてみるとか、今までと違った環境に身を置き、そこで新しく出会う人であったり、学びであったりにかけてみるとかではないかと思います。

よく言われている在り来たりなことですが、自分はよく落ち込みやすいので、日頃から毎日楽しく生きる方法を考えないとまずいだろうなと思っている次第です。

仕事を辞めて気づいたこと

仕事を辞めて1ヶ月がたった。

働いている時は朝4時台に起き、夜は遅い時は夜中の2時とかに寝る日もあって、今から思えば「よく生きてたな」という気がする。


働いている間は忙しすぎて、色々なことを振り返る余裕なんて全くなかった。

元々その前の仕事を辞めた理由が、収入面で生活出来なかったからで、少しでも収入が増えれば同居している親を少しでも楽にしてあげられると思ったからだ。


いざ転職してみたら当初聞いていたよりも時間外労働が多かったが、それでも以前より若干収入は増えたし、その分働くのも致し方ないと思っていた。


でも睡眠不足もそうだし、食事もろくに取らずに仕事をしていたので、体力がなくなり自分がひどくやつれているのが分かった。
でも他の同僚も同じ条件下で働いているのだから、自分ももっと頑張らねばならないと必死になっていた。



辞めてみて自分が相当無理していたのだと気づいた。
体力はなかなか戻らないし、頭の働きが働く前よりも鈍くなっている。
同僚からも無視され、弱点ばかり指摘されていたので、「生きる気力」が失われているというか、今の自分や周りの人を信じるということに臆病になっている。


あのままずっと働いていたら、完全に人生終わっていたのではないかと思う。
周りから見れば「逃げ」たことには変わりないし、年齢的に前回の就職活動より厳しくなったのも実感しているけれど、自分と合わない環境でずっと結果が出ないでいるのも、会社にとっても自分にとっても良くない状態だと思った。



以前は働きながら漫画も描いていたし、本も読んだりしていたのだが、そういうことも一切出来ずにただ働いて食べて寝る生活だった。

家族とも話す時間がなく、母親が私が帰ってから話かけても、疲れきってそこら辺で寝てしまっていることが多かった。



時間的なゆとりを得るためには、収入を落とすしかないのだろう。
「やりがい」とか「生活のため」とか、働く上で 何を重視しているかというのは人それぞれの事情によると思うが、失われて初めて気づくこともあると思う今日この頃だ。