戦争とは言葉にならないことばかり
先日、雪だかみぞれだか雨だか分からん天気の中、無謀にも映画『この世界の片隅に』を見てきました。
私は原作者のこうの史代さんの作品が好きで原作も前に読んだことがあり、映画も気にはなっておりましたがなかなか忙しくて行けておりませんでした。
感想は、というと、
「よかったです。」
(おいっ!(^_^;))
私は小学生の時『火垂るの墓』とか、戦争ものの本をよく読んでいて、広島と長崎は生きている間に絶対行っておきたいと思っておりました。
長崎は高校の修学旅行で行ったのですが、広島はなかなか行けず仕舞いで、今から5年前にやっと行って来ました。
原爆ドーム、原爆資料館や呉の大和ミュージアムにも行きました。
資料館では被爆した方の写真や遺留品、戦地へ赴いた20歳前後の青年が家族宛に書いた手紙などを見ました。
生きている間に彼(彼女)はどんな生活を送っていたのだろうかと想像したりして、自分の中には言葉では言い表せない何かが胸に残りました。
今回見た映画は、当時の広島の人々の暮らしを動画で見ているかというぐらいリアリティが感じられて、あの時私が資料館で見た「戦争の断片」とが私の中で繋がったように感じました。
一瞬にして非日常になった世界の前には、今の私達と同じような日常の暮らしがあったということ。
主人公すずは要領がよくなく、ぽけ~っとしてるところがまるで自分を見ているような気がして、余計に感情移入してしまいました。(苦笑)
当時の女性は年頃になると見合いをして嫁ぐのですが、「昔は一度嫁いだら自分の実家にはなかなか帰れないのだな」とせつなく見ておりました。
すずは嫁に行って新たな家庭での暮らしに奮闘しておりますが、頭がハゲてしまうくらいストレス溜めてましたね。(^_^;)
当時に限らず、結婚して相手の家族と暮らしてる方は、独身の私からしたらホントに尊敬します。
私の母も父親の実家に帰るといつも辛い思いをしていた記憶があります。
父親には姉がいて(伯母)、父親の母(祖母)と私の母に対して悪口のようなものを言っていました。
子供ながら母のことを悪く言われてるなんて嫌だなと思っていて、何だかその時の記憶が蘇って、泣けてしまいましたよ。
映画の中ではすずに最初は辛く当たっていた義理のお姉さんも、一緒に暮らすうちにお互いのことが理解できるようになって、すずは段々と家族の一員になっていきました。
「こうして家族ってなっていくんだ」
と思わされたりして、映画は戦争を主題に描いておりますが、私としては人生物語としての側面も深く残りました。
戦時中は父親、兄弟、夫が次々に戦地へ駆り出されて、女性は常に大切な人の死を覚悟して、受け入れていくしかなかった時代です。
「私だったら愛する人を戦地に送ることに耐えられるだろうか」
と何度も思いました。
男性に生まれたら家族と共に年老いていく人生ではなく、死と破壊の世界であっけなく死んでいくことを喜ばなければいけない時代なんて、二度と来てはいけないと思いました。
夏の終わりのいい天気の日でした。
山からの頂きもの
某TV番組で、2016年の大みそかに九州地方のある山に登山してきた人を山頂で捕まえて、「こんな大みそかに何で山に来たのか」と聞いてみるという企画がやっておりました。
待っていても中々人は来ません。
と思った時に一人の青年が現れました。
彼は何だかインタビューをされるのが嫌だと感じているような受け答えでした。
私はてっきり「山で静かに一人になりたかったのに邪魔すんなー」と思っておられるのかと思いました。
話を聞いてみると、どうやらお父さんと弟さんも一緒とのこと。
「なぜ大みそかに山登りを?」と聞いてみると、お父さんに誘われて来たそうです。
さらに年齢を聞いてみると「22?3?」と、自分の年齢が分からなくなってました。
私は「もしかして引きこもりの方かな……。」
と思いました。
お父さんが来られて「24だよ。」と答えてました。
その後弟さんも来られて、同じように年齢を聞いてみたら、弟さんも自分の年齢があやふやになってました。
兄弟2人が引きこもりの方かは定かではありませんが、こうして息子2人を引き連れて山に登ってくるお父さんって、何かいいなと思いました。
もし子供達が行き詰まっていたなら、親は何をしてあげたらいいか分からなかったりするものです。
人生は辛いことの方が多いけど、楽しいことはそこいらに転がっていたりします。
ただそれに気がつかなかったり、楽しいと思えなかったりする時もあります。
こちらのお父さんは前にも山に登ったことがあるそうで、遠くに見える景色を番組スタッフの方に説明しておられました。
きっと息子さん達にここから見える景色の素晴らしさを伝えて、動き出すきっかけになればと思っていたのかもしれませぬ。
お兄さんがお父さんよりも先に登ってきたということは、少なくとも山頂を目指すことに前向きだったのではないかなーと思いました。
私も、以前は煮詰まってくるとよく川とかに逃げておりました。(⬅魚か。(笑))
自然物に触れると、少し気持ちを入れ直すことができますね。
どうしても辛い時というのは、ネガティブな情報を集めがちになってしまいます。
そういう時はほんの些細なことでもいいので、「やりたいこと」を書き出してみるとよいかもしれないです。
私は今のところ、カラオケで歌いまくりたいのと、日帰りでもスーパー銭湯でもよいので、湯に浸かりたいです。
チョコの話をちょこっと
母からチョコレートをもらいました。
来週はバレンタインデーですね。
日本でのバレンタインデーは元々女性が意中の男性にチョコレートを贈るものでしたが、「義理チョコ」に始まり、最近は「友チョコ」とか「自分チョコ」なるものが発生しておりますね。
私の家では確か小学校1年生ぐらいに、一度母とチョコレートを手作りして兄にあげたことがあります。
が。
食べないんですよ。アニキ。(~_~)
甘いもんが嫌いで、あげたチョコがずっと放置されておりました。
そんなんなので 、
「もう、チョコなんかやるかー!」
っとあげなくなりました。
昔「ビックリマンチョコ」といって、チョコ入りのウエハースとキャラクターのシールが入っているお菓子があり、母がよく買ってくれていたのです。
が、兄はカッコいいシールばっか持っていって、私はウエハース担当にさせられてました。
お菓子好きだったのでいーんですが、キラキラのシールとかくれなくてむくれてました。(笑)
何となく男性は甘いものが苦手な人が多いイメージがありますね。
私はバレンタインデーなどはほぼ同性にしか渡したことがありませぬ。
小学生の頃はくま(^(工)^)とか☆形のバラ売りのアメを買ってきて、ラッピングして友人に渡したりしておりました。(当時ラッピングとか大好きだったもんで。)
友人は放課後とかに個別に男子の自宅に渡しに行ったりしていて、当時は「渡す相手がいるなんて羨ましいなー」とちろりと思ったりしておりました。
最近はバレンタインデーなんて、「ちょっと特別なチョコとかお菓子が売り出される日」ぐらいにしか思っておらんです。
「本命」にしろ、「義理」にしろ、もらえる人ともらえない人と分かれてしまうなんて、何かせつないじゃないですかー。
特に友達同士で渡している人達で、「私もあげないと仲間に入れてもらえない」とかになってくると、苦痛以外の何物でもなくなってきますからね……。
私はプレゼントするのとか結構好きなんですが、あげるなら喜んでもらえるのが一番ですよね。
ヒットメーカーになれなくても
仕事を辞めてから早いもので、3ヶ月ぐらいがたってしまいました。あっという間ですね。
今年に入ってから面接にも行ったりしておりますが、ここ最近は前進してる気がせず、何だか足踏みしてる感じです。
焦りはしつつも、前回就職活動をした時よりは気負わないようにしてるかもしれません。
「慣れ」というのもありますが、人生「成るようにしか成らん」と思う部分があるのです。
私は大学を卒業して、新卒で就職した会社を一ヶ月で辞めてしまいました。
大学時代の就職活動といえば、私は売りになるような能力もなく、「何になりたい」とかも漠然としておりました。
それなので面接に行ったある会社の方から、
「あなたは一貫性がない。何がしたいの?」
と聞かれ、返事に詰まってしまい、それ以降就職活動を続ける自信を失ってしまいました。ヘタレです。
その前に大学であった合同企業説明会に来ていた会社から内定をもらえていたので、そちらで働くことにしました。
「とりあえず頑張って働いて、衣食住事足りて、休みとかにどっか行ければいいな」
ぐらいに思っておりました。
職種は販売に近いことをしておりましたが、私が人見知りだから耐えられなくなったというより、長時間労働で、身体的にも精神的にも持たなかったという感じです。
先輩もお昼ご飯をほとんど食べる時間もなく働いてました。
当時自分が書いていた日記を見ると、「生きるのがツラい」とか「どうやって死のうか」みたいな内容ばっかり書いてました。ホント追い詰められておりました。
今思えば、数年のバイト経験だけで自分に合った会社を見抜くなんてムリじゃないかーと思うのです。
働き始めた当時の私は、フルタイムで働くのはこれぐらい忙しいのも当たり前で、ついていかないと社会人として失格なのではないかぐらいに思っておりました。
新卒の時に諦めずに就職活動を続けて、もっと色々な会社を見ておけばよかったなと思います。
それでもこうして今まで勤めた会社のことを振り返ると、一度働いてみて辞めて、改めて会社を見たから気づくこともあるわけです。
転職活動の度に、
「どういう仕事が自分に向いているか」
と何度も考えるわけですが、一向に結論の出ない問いです。
人は仕事に人生の大半の時間を取られるものです。
少し前まで私は、「自分の好きなこと」を仕事にしている人を心底羨ましいとも思っておりました。
自分もそうなりたいと思っていましたが、上手くいかず、かえって息苦しさを感じていたりもしました。
ふと気づいたのは、「自分の好きなこと」を仕事にしてらっしゃる方というのは、それが「誰かが必要としていること」と合致している方なんですよね。
私が好き放題漫画を描いても、「もっと読みたい」と思ってくれる読者の方がいなければ成り立たないのです。
私は自分に自信がないので、「自分の好きなこと」を仕事にすることで、今までの辛かったことが報われる「一発逆転ホームラン」人生を狙っていたのかもしれません。
でも私には何度も空振りを繰り返して、徐々に「どうしたらヒットが打てるか」コツをつかんでいく生き方しか出来ないのだと思いました。
今の時代、生活のために自分に無理のある働き方をしてしまう方が多くおられるかもしれません。
私も何を言ってもお金がないと生活がままならないのも分かるわけで、一方で何度か働きづめになって、やはり健康とか自分らしく日々を送ることも大事だと感じております。
苦しい思いもたくさんしてきましたが、それもひっくるめて人の人生は見えない「縁」のようなものに導かれているのではと最近は思うこともあります。
ドラクエとかのRPGで、ある人物に話しかけないとイベントが発生しないというのがあったと思います。
人生に詰まっている時は、とにかく気になったことを始めてみたり、とにかく行動してみると何かが動き出すかもしれないですね。
変わるものと変わらないもの
つい先日用事があって、母校の大学に行く機会がありました。
私が卒業して10年近くなりますが、私が所属していた学部の名前が変わっていたり、一番よく使っていた建物がぶち壊されて綺麗な建物に変わっていたりと、何だか時の流れのようなものを感じました。
時は流れ、変わりつつある大学を見て、「私の知っている○○大学」ではないのだなと思いました。
今の○○大学は今の学生が作り上げているもので、私の知っている大学は記憶の中にしか存在しないんですね。
人の人生は「過去から未来への直線的なもの」として捉えられますが、生きているのはまさに「今」なのだと改めて感じました。
人も街もこの世にあるものは絶えず変化していて、私は私であることは変わらないけれども、今日の私は昨日の私ではないんですよね。
昨日TVで『耳をすませば』がやっているのをところどころ見ました。
この作品、もう20年も経つのですね。(^_^;)
当時私のいとこが多摩に住んでましたので、この作品を見ると、遊びに行っていた時のことを思い出して懐かしくなります。
まだインターネットとかメールが普及していない90年代の団地暮らしがよく表れてる作品ですが、中学生が直面する進路とか恋愛事情とかは今でも不変なところで、それが見る人の記憶に残る理由かと思います。
それにしても天沢聖司君は大人びた少年ですよね。最後の告白でいきなり「結婚して」と言うなんて、「ちょっと待てちょっと待てお兄さん」ですよ。
中卒で海外に勉強しに行くと聞くと、私はサッカーの三浦知良選手を連想してしまいますね。(母がよくこの話をしてたからかもしれない。)
もしアニメの終わりに続きがあったら、あの後の雫と聖司の関係は…………。
それぞれの道を歩んで、社会に揉まれて、厚みの増した人間として再会出来たら素敵ですね。
失敗続きのダメな自分の人生を生きるのは自分しかいなくて、大切に思っている人でも進む道が分かれたり、一生の別れが突然来るのも世の常です。
過去に囚われるのではなく、たまに懐かしむだけに留めて、これからの出会いで変化していく自分を楽しめる人生を送れるとよいですね。
生きづらい社会で息抜くために
先日TVで『あなたは今幸せですか?』と聞いているドキュメント番組がやっておりました。
ツラい毎日を送ってたりすると、意外と「ドキッ」とする質問ですね。
「今幸せじゃないな……」とか頭をよぎると私は目元が潤んでしまいます。
最近「この社会は生きづらいな」と思うことが多いです。
詰まってた時に読んだ本がためになったので、ここでちろりと紹介しておきます。
①『幸せのメカニズム 実践・ 幸福学入門』前野隆司
②『この国の冷たさの正体 一億総「自己責任」時代を生き抜く』和田秀樹
①『幸せのメカニズム 実践・ 幸福学入門』
「どうしたら幸せになれるか」について考える時、
「高収入である」とか、「人とのつながりがある」とか人によってそれぞれかと思います。
この本では地位や収入といった客観的な指標だけでは測れない主観的な「幸せのメカニズム」について明らかにし、「どうしたら幸せになれるか」のヒントを与えてくれます。
本の中で次のような4つの「幸せのもと」となるものを紹介しておりました。
(1)「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
➡これは自分の得意なことで誰かの役に立つことで得られる幸福感です。
お金をもらえなくても、支持している人がたくさんいなくても構わないのです。
今はブログなどで自分の持っている知識や経験を提供してる方がおられますね。
誰かの役に立っていると思うと「もっといい記事を書こう!」と励みになり、その方面での知識がますます深まったりします。
(2)「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)
➡これは友人知人とかとつながりがあることで感じられる幸福感です。
友人の数が多いから幸せなのではなく、年齢、性別など多様な友人が多いほど幸福感が得られるそうです。
お金も自分に使うより、誰かのために使った方がより幸福に感じるそうです。
(3)「なんとかなる!」因子(前向きと楽観の因子)
➡これは楽観的な方がより幸福感を感じるということです。
例え話でよくありますよね。
「時間が30分しかない。」と考えるか、
「時間が30分もある。」と考えるかという例が。
私は何でも物事をよろしくない方に考えたり、失敗を何度も思い返してしまったりということがあります。
一度考え出すとやはり気持ちがなかなか明るくならんですね。
楽観的な人の方が毎日楽しそうに思えるのも、こういうことなのかもしれないですね。
(4)「あなたらしく!」因子(独立とマイペースの因子)
➡これは周りに気を使いすぎず、自分らしくいられることで得られる幸福感です。
日本人は特に周りに同調しがちで、「空気を読む」ということに腐心しておりますね。
かといって何でもやりたい放題という訳にもいかないわけで、大事なのは自分を客観的に見る視点だそうです。
自分を出しつつ、周りにも気を使うーー
これが結構難しいですね。(^_^;)
これらの4つは「全て揃っていれば幸せになれるぞ」というものではなくて、幸せな人を見ると主にこういう要素によって幸福感が得られているというものです。
私はどれも満足に得られてない気がします。
だから「幸せではないな……」と感じるのですね。(x_x)
これも受け入れて、楽観的に生きるしかない!(笑)
②『この国の冷たさの正体 一億総「自己責任」時代を生き抜く』
この本は人に対して問題の全てを「自己責任」に終止してしまう傾向にある社会に警鐘を鳴らすような本です。
最近、生活保護受給者に対する市職員対応の仕方で問題になっているニュースを見ました。
日本では生活保護の受給者が年々増えており、ニュースでは不正受給の話題が度々されていますが、受け取らなければ生活できないような方が受け取れていない現状があるそうです。
今シングルマザーの子供の貧困問題がありますが、「自己責任」の名のもとに「お金がないのに離婚するから」なんて話も出てきます。
問題にするところの焦点が違うのでは、と感じます。
私の両親は父親の家庭内暴力が原因で、私が中学に上がる頃に調停離婚しました。
母は何度も家を出ようとしておりましたが、やはり1人で兄と私を養っていけないので、何年も殴られて蹴られて包丁をつきつけられても耐えておりました。
今同じような状況にある方なら、生活の見通しが立つという意味でも、生活保護があるだけで十分違うかと思います。
生きていれば何が起こるか分かりません。
道を歩いて車に追突されるかもしれないですし、親の具合が急に悪くなって介護が必要になるかもしれないのです。結果、今働いている人も働けなくなることだってあるのです。
働きたくても働けない無職の人や、低収入で頑張っても苦しい現状から抜け出せない人だっているのです。
社会福祉は国民の「もしも」に備えるものであって、「何でそうなったんだ。そうなった自分が悪いのだ。」というのは次元の違う話のような気がします。
弱者になってしまった方を切り捨てるのは、人生に勝ち負けをつけるような柔軟性のない息苦しい社会です。
私はこれらの本を読んで、人々の多様性を認めるのがかなり大切だと感じました。
私自身も自分を受け入れてもらうには、相手のことを理解しようとしたり、受け入れようとする姿勢を持たないとと改めて思わされました。
今置かれている状況がツラいと感じることがあっても、自分が「自分らしくいられる」と思うことを一つでも生活に取り入れていけば、それは息抜きにもなるし、この世を生き抜く術にもなると思います。
昔の記憶が頭をグルグルめぐる
『魔方陣グルグル』の3回目となるアニメ放送がされるそうです。
って、今はグルグルを知らない方が多いのかもしれないですね。(^_^;)
90年代に2回アニメになっていた漫画なのですが、私は現在も連載してることを最近知りました。
どういう漫画なのかざっくり言うと、
「勇者と魔法使いが魔王を倒す話」
です。(笑)
これじゃー面白さは伝わらんね。
ギャグ漫画ですよ。
とにかく登場するキャラがハンパなく面白い。
「腰みのをつけた上半身裸のおやじ」(⬅変態?)
とか
「しゃべるプードル犬」(⬅ソフトバ○ク?)
とか
とにかく、「まともな」人が誰一人いないんじゃないかというぐらいかなり笑える漫画です。
我が家では兄妹ともどもハマっていて、昔の写真とか見ると兄はたいてい「キタキタおやじ」(⬅腰みののおやじですよ)のポーズをとっておりました。
私は主題歌も好きで、特に奥井亜紀さんの『Wind Climbing 〜風にあそばれて〜』は兄がCDを持っていましたので、当時はかなり聴いてたました。
最近でもたまに聴いたりしますが、結構「うるっ」っときますね。
私の画風も、友人が私の絵を見て「それってグルグル?」って聞いてくるぐらい影響力はかなりあったかと思います。
その頃はドラクエのモンスターばっかり描いてましたが、グルグルのギップルというキャラクターもよく書いてました。(⬅モンスター扱い?)
グルグルという魔法は確か子供しか使えなかったような……。
グルグルって、「絵を描く楽しさ」の象徴みたいなもんですよね。
あれやこれやとノートに思いつくまま描いたものが結構いい作品だったり、自分の心理状態をよく表してたりするもんです。
私なんぞ人と中々親しくなれないもんで、小中高大と変わる度に共通の話題がなくてツラくなるんですが、グルグルの話は同世代だと世界共通語みたいなもんでしたね。
私は小学生からずっと漫画家志望でしたので、将来は会話が苦手な人の会話のきっかけになるような漫画を描きたいと思っておりました。
グルグルのようにシリアスになりそうなシーンを全て笑いにしてしまう秀逸な作品を描いてみたかったものです。
年を取ると、子供の時のように「思うがままに興味があるものにチャレンジして失敗して」ということが難しくなってきてしまいますね。
たまにこうやってあの頃に帰ってみると、「もう少し未来は明るいと思ってたな~」と、生きる活力が戻ってきたりもします。
アニメの放送時間はいつになるのか分かりませんが、少ししたら日本の片隅で大爆笑してるかもしれないですね。
違和感ハンパない(笑)
だれ?