普通の家庭でなくても
昨日TVの某番組で、虐待された経験がある一般の方が、自身の経験を語られているのを見ました。
辛い過去を誰かに話す時とは、その時のことを思い出しながら語るわけで、こうして公の場に出て語る勇気だけでも感心するところがあります。
彼、彼女は虐待を受けて育ったが故に、人を心から愛せなかったり、反対に人に依存的になったりと、人との関係を上手く築けなかったりします。
私の家庭は機能不全家族と言われているようなもので、私が生まれた時にはすでに、父親の母親に対する暴力が日常的にありました。
暴力の対象は母だけで、私や兄に手をあげることはありませんでした。
私は父親と母親の間に割って入って母を庇い、兄は部屋の片隅でぶるぶる震えていました。
友人の家に遊びに行くと、家庭内の緊迫したような雰囲気は感じられず、父親とも冗談を言い合ったり出来る関係を心底羨ましいと思ったこともありました。
でも私にとって父親の暴力と同様、母親にされたことが記憶に残っていたりします。
最近読んだ本で、子育てでやってはいけないことの3つとして、
①自分のイライラをぶつけない
②(子供の)否定的なことばかり言わない
③(子供の)きょうだい同士を比較しない
とありました。
「うちは全部当てはまる……。ダメだこりゃ~。」
と思いました。
私は小学校に入る前辺りに、夕飯が全部食べられず、台所の片隅で「居残り」させられてました。
何時間お皿を見続けても食べられず、しまいに船をこぎだす毎日でした。
そうすると母に「ここに入ってなさい!」と、黒いごみ袋を出されてしまいます。
仮に栄養バランスよく食べさせようと思ってやっていたとしても、「ごみ袋に入れられた」という記憶が強く残っているだけです。
今となっては、母が余裕がなかったからと理解する部分はありますが、もう少し他の方法はなかったものかと思います。
学生時代ぐらいまで漠然と「普通の家庭」に憧れていました。
お金はあった方がいいけど、生活していけるぐらいあればいいし、何より両親の仲がよいのが一番だと思っておりました。
自分が育ってきた環境が恵まれていないと、他の人より心に大穴があいた状態な気がします。
私の父親はギャンブルやお酒でその穴を埋めようとしていたのだと思いますが、ギャンブルや過度の飲酒は一時的にはごまかせても、寂しさが増すものばかりです。
私はずっと「父親のようなはならん」と自分を戒めてるつもりです。
母は今でも私の気に入らないところがあると、「父親に似てる」と非難するわけだが、「そんなの関係ねぇ!」といつも反発したくなります。
私は本を読んだり、変な絵を描いたり、変な写真を撮ったりして大穴を少しずつ埋めています。
自分に何が合うか、心のままに色々始めて辞めてすればよいかと思っております。
心の穴を埋めようと誰かに依存的にならず、人に何かをしてもらうばかりでなく、誰かに返していくことで心満たされるような人生が送れるとよいですね。
縁の下の力持ち
先日仙台城に行った時におみくじを引きました。
年始めの記事でも書きましたが、初詣の時に引いたおみくじ……末吉だったのですよ。
何か今年は波乱万丈な一年になる気がしておりました。
仙台城の入り口付近におみくじがあって気になっていたのですが、一年に何回も引くと何か「浮気した」ような後ろめたさを感じるところもあったのです……。(~_~)
でも帰りに見たらやっぱり気になって、引いてみることにしました。
種類が5つもあってどれを引くか迷いました。
下の写真を右から、
・男みくじ
・女みくじ
・恋みくじ
・普通の(?)みくじ
・強運みくじ
がありました。
一番右はないとして(笑)、2番と3番目は恋愛系しか載ってなさそうだったので、総合的に載ってるのが欲しかったので左2つで最後悩みました。
やっぱ「強運」って惹かれますよね。
がさごそ…………えいっ!
電車の時間が迫っていたので、その場で見ずに退散しました。
電車の中で広げてみました。
結果は「吉」でした。
書かれている内容が心に染みて、正直うるっとしてしまいましたよ。
「今の縁を大切にすること。我儘をいったり自分勝手に振る舞ったらせっかくの縁も駄目にしてしまいます」
職場を何度か変えましたが、転職活動をして色んな会社を見てきました。
私が新卒で入った会社は、履歴書に書けばほとんどの方が知っている会社でした。
なかなか書類選考で通らなくて、やっと面接で呼ばれて行ってみたら、私自身のことでなく、その会社の業績はどれくらいか聞いてくる会社もありました。
そんなの経理部門でない、しかも一ヶ月しかいないぺーぺーが知るはずもなく、知ってたとしても言えるはずもないのに、そんなことのために呼ぶのは不誠実だと思いました。
でもそういう会社ばかりでなく、今の自分を見て真剣に雇うことを検討している会社もありました。
勿論「最低限経験していて欲しい業務」というのが会社それぞれにあって、書類選考で全く相手にされないケースもあります。
しかもそれも「縁」のうち。
そこに行く運命になかっただけのこと。
元々私はスピリチュアルとか占いとか、ガチで信じてるタイプではないのですが、30うん年の月日を振り返ると、これまでの歩いてきた道に「縁」のようなものがをあるのではないかと思えたのです。
今の会社はまだ3ヶ月ぐらいしかいないので、この先も続けていけるか分からんではあります。
私はかなり不器用で、仕事でイレギュラーなケースが発生するとフリーズしてしまうことが多いです。
それでも周りの方がフォローしてくれてるのを感じて、「頑張らねば」と必死こいてます。
先日利用した施設で、対応してくれた男性がめっちゃ不器用な方でした。
でも彼より若そうな女性従業員の方がフォローに入っていました。
一見「接客業向いてないんじゃね?」と思える人でも、周りの協力があればこなせる場合もあるのだと思います。
どういう人が働いてるかとか、どういう環境かなんて外部からは分かりませんが、辿り着いた場所には何らかの「縁」のようなものがあるかも知れませぬ。
私が働いていた会社がたとえ有名で、自分の好きな商品を扱っていても、自分に合わない環境だったら働き続けられんです。
こうして駄文を世に送り続けているブログも、何かの「縁」で始めたのでしょうかね。
読んでくださった方には、この場を借りてお礼申し上げます。(>_<)
ワーキングプアの連休
連休が始まりましたね。
連休の過ごし方は、今自分がどういう状況にあるかによっても異なるかと思います。
ざっくり分けるとこんな感じでしょうか。
①休みもお金もある人
②休みはあるけどお金はない人
③お金はあるけど休みがない人
④休みもお金もない人
①休みもお金もある人
これは簡単に想像つくと思われますが、収入もあって福利厚生が整った環境で働いている方。
業績がよかったり安定した仕事をしていて、比較的休みが取りやすい企業に勤めているとか、フリーで働いている人の中で、お金や休みにゆとりがある方などでしょうか。
私のような者には一生縁がないでしょうね…。(^_^;)
②休みはあるけどお金はない人
カレンダー通りには休める会社に勤めてても、収入が少ない方とかかな。
あと無職の方とか学生の方とかもそうかと思います。
無職で仕事を探してる時って、連休はかなり辛いんですよね。
ハローワークは休みだし、連休に休みたい場合、応募先の会社も休みのところが多いから実質何も出来ない。
しかもお金はないしで鬱憤も晴らせない!
今の私は働いてますが、一番ここに近い感じでしょうか。
一応連休はもらえるけど収入が…………。
遊びに行きたくても家でいじいじしてるしかないっ!
③お金はあるけど休みがない人
これは業績がよくて収入に還元されるけど、人手が足りなくて休めない環境にいる方でしょうか。
今売れている芸能人の方もそういう人がいますよね。
私が前の仕事をしていた時は、どちらかというとこちらに近いかなと。
私の場合お金があるって言っても、「今よりは」っていうだけで、本当残業やら休みが少ないのに、自活していける程の収入でもなかったので、何もよくなかったですね……。(~_~;)
④休みもお金もない人
これは一番辛い状況ですね……。
仕事が忙しいのに収入は少ない。
人が休みの時に忙しいサービス業の方なんかはきっとこういう環境にいらっしゃるのかもしれません。
連休で浮かれてる人もいれば、シビアな現実を生きてる人もおられるかと思います。
私は今の仕事を始めて今月で3ヶ月目になります。
五月の連休後って、「五月病」って言われるくらい学業でも仕事でも危機的な状況になる人が多い時です。
私もちょうど今の仕事の「いい面」も「よくない面」も見えてきて、一喜一憂している頃かなと思います。
収入は以前より減ったので、ホント生活かつかつですよ。
私の母は毎月病院に通院していて、医療費が結構家計を圧迫しているところがあります。
働き方は人それぞれかと思います。
私は親を支えていかないといけないので、少額でも定期的に収入があって、休みも不定期でない仕事を選択しました。
正直「働いても働いても我が暮らし楽にならず」ですよ。
仕事を探している時、気になる仕事はいくつかありましたが、全然生活していけるレベルの収入ではないんですよね。
例えば図書館司書とか。
人気がある職なのに、それだけでは自活するの無理ですよね…。
今は失業率が回復しているのかも知れないですが、「求人がある」=「生活していける」ではないですよね。
働いていても、働けなくても、生活していけない状況の人が多すぎる気がします。
私は今の状況を受け入れて、ワーキングプアはワーキングプアなりにやっていくしかあるまいと思っております。
少ないながらもお金を貯めて、旅したり、何か勉強したりして慎ましく生きていくつもりです。
心が通わなくなる日
昨日田舎から、いもが届きました。
田舎の祖母はずっと農業をしており、最近は自分が食べる用に野菜を育てていて、食べきれない分はたまに送ってくれます。
じゃがいもが大好きなのと、貧乏暮らしには食料を送ってもらえるだけでもかなりありがたいので、いつも助かっています。
お礼に電話をかけました。
私「荷物届いたよ~。」
祖母「そうか。」
私「どう、元気にしてる?」
祖母「じゃあな。」
ブツッ。プープープー。
最近はそんな感じです。
こちらから電話をかけると早々に切られてしまいます。
いつからだろう。
何か「会話」をしてる感じがしなくなったのは。
祖母が用事があって電話がくる時は、こちらが聞き返す間も与えないぐらい一方的に話していることが多いのです。
方言や私の知らない話で少し考えてしまう時は、
「おいっ、聞いてんのかー?」
と語気を強めて言うのです。
私が仕事を辞めて無職の時も、辞めた話はしたはずなのに、
「今何やってんだ?おい?」
と何回も言われ、何だか無職を責められてる気分になって涙目になったこともあります。
昔はそんな人じゃなかったはず。
田舎に帰って母親に怒られてしおれてる時も、笑ってなぐさめてくれてました。
田舎からこちらに帰る時に玉子焼きとおにぎりを持たせてくれて、それが私は大好きでした。
今となっては祖母の態度にも慣れてはきたものの、初めの頃はかなり落ち込みました。
元々持っていた性格なのか、加齢によるものなのか、定かではありません。
私の母は親の言うことを聞く素直な子供だったようで、私は昔の話を聞く度に、「ずっと言いたいことを言えずに我慢してきたのではないか」と思いました。
「生きている間にしか言えないから、今のうちに言っておいた方がいいよ。」
と母に話しました。
母は何度か試みましたが、祖母の反応を見て、私は「遅すぎた」と感じました。
耳の痛い話は全て「忘れた」と言うのです。
本当に忘れてしまったのか。
ただ聞きたくないだけなのか。
私はもう少し早い時期に、「会話」というもの自体をかわせる時間がもっとあればよかったのにと思いました。
母は父親が家で暴れていたせいで、生活していくだけで精一杯になっていました。
子育てが落ち着いて、やっと時間ができたと思ったところなのに。
私は今親がそばにいて、言いたい放題言える環境で恵まれているのだと思います。
東北の冒険へ
先日東北の某県へ旅してきました。
前々から東北方面は行きたいと思っておりましたが、仕事がやばかったのでしばらく旅行どころではなかったですね…。
某県とかぼかしてるけど、写真見たらバレますわな。宮城県の仙台です。
田舎が福島なので、東北にピンポイントには何回も行ってますが、それより北側は足を踏み入れてなかったので「やっと」という感じですね。
別用があって時間があんまりなかったので、行けた場所がかなり限られてしまいました。
少ない時間でどこ行こうか考えて、お城とか結構好きなので、仙台城に行きました。
現地までコミュニティーバスのようなものに乗って行ったのですが、めっっっちゃ混んでいて、乗車率130%ぐらいの車内で上り坂をくねくね上っていくのがかなり苛酷でしたね。
戦争や災害で、ほとんど城の原型は残ってないのがホント残念でした。
建物に限らずそうですが、歴史を次世代に引き継ぐのって簡単ではないし、誰かが意識的に守っていかないと消えていってしまうものなのかもしれないなと感じました。
私が行った時期は桜のベストシーズンらしく、近くの公園がかなりの行楽客で溢れてました。
その影響か、帰りは道がかなり渋滞してて、予定の倍ぐらいの時間がかかって仙台駅まで戻ってきました。(よれよれ~)
ビン詰めの牛タンとか、ビン詰めのプリンとか重そうなものを帰りに買って帰ろうかと思っておりましたが、電車の時間に間に合わなくなりそうだったので泣く泣く諦めました。(>_<)
桜の公園にある甘味処で列を待っていたら、中学生ぐらいの女の子とお母さんが私の前に並んでいました。
私が地図で読めなかったとある場所名をあげて、地元の話をしておりました。
彼女はこの地に生まれ育って、この場所が彼女の生活の一部として成り立っているのだなーと感じました。
旅の途中で現地の人に2回話しかけられましたが、この土地で暮らしてきた歴史みたいなものがその方たちの中に流れていて、それはどこに暮らしていても同じで、比較しようもないものだと感じました。
先日メディアで、ある方が「震災が起きたのは東北だったからまだよかった」みたいな発言をして問題になっておりましたが、その土地で生きている方の歴史というものにも思いを馳せて欲しいと思いました。
旅を通じてその土地の雰囲気を味わうのはよいですね。
私は生まれてから30うん年同じ土地に住んでますが、将来的にどこかに移住するのもよいかもしれないと考える時もあります。
私は地方暮らしには必須の運転免許を持っていないのと、仕事もどの土地に移住しても出来る専門的スキルもないので、そこを何とかせねば難しいですね…。(^_^;)
地方が活性化していくために何が出来るのか。
私のような影響力がない人間がぼやいても何にもならんと思うけれど、ブログやツイッターなどで一人一人がその土地の魅力を語るのは大切かなと思います。
高台から遠くに見える白いものが気になって調べたら、「仙台大観音」というものがあるみたいですね。
自分らしく生きるために
少しだけ髪を伸ばそうかと思っております。
元々幼稚園の頃からロングヘアーが好きだったのですが、中学生ぐらいから今まで、伸びてくると肩につくかつかないかぐらいに切っていました。
以前の母親は、私の髪が伸びてくると毎回「短くしてこい」と言います。
私はロングヘアーが好きなのを我慢してました。
私が小学生の時の夏休みだったかな。
「髪を切ってこないと田舎に連れてかないよ!」と母親に言われて口論になったことがあります。
私は一人だけ置いていかれたくないので渋々切りに行きました。
何で我慢してたかというと、純粋な理由です。
小さいうちは親の期待に添おうとして、自分の意志をごまかしたりなかったことにしようとするもんです。
でも年を取ってくると段々我慢してるのが苦痛になります。
子供が大きくなるにつれ、親とは違う「自分の性質」を自らの中に見つけて、自分らしく生きようとすればするほどごまかしがきかないものになります。
私の兄は勉強とか「さらっ」とこなしてしまうタイプで、不器用でやらかしてばかりいる妹の私は比較されて育ったと思っています。
兄は親の言うことを素直に聞き、親の期待するような仕事をしていて、私は納得がいかないと噛みついて、しかも人生失敗ばかり。
私はずっと「親からの扱いの違い」みたいなものを感じていて、親の期待に添うように頑張ろうとして、大学受験で失敗したり、仕事選びで失敗してきました。
その度に親から「何で?」と責められてました。
でも20代半ばぐらいになったら、何か吹っ切れてしまいました。
「私がどんな辛い状況でも、自分の身に起こることは全て自分で引き受けていかないといかない」と実感したからだと思います。
子供が学校でいじめられても、ブラック企業で酷使されても、親が肩代わりするわけにもいきません。
であるならば、自分のしたいことをして文句を言われたり、返り討ちにあったとしても、いいことも悪いことも全て自分が受け止める。
それが人生なのかなと思います。
先日、いつも通っている美容院のカリスマ美容師(笑)に髪を少し切って整えてもらいました。
帰ってから母親に「あれっ、全然切ってないじゃん。」と言われましたが、私は結構気に入っているのでよしです。
暑がりなので、夏場はまた元に戻すかは未定です。
私は漫画を描くのも読むのも好きですが、母はあまり好きでないらしく、過去に「漫画家になりたい」と話した時も渋い顔をしてました。
今となってはもうこんな年齢ですし、無理に誰かに好かれなくてもいいやって自分に言い聞かせてるけど、やっぱ自分に自信が持てないまんまだし、それってかなり辛いかなーと思います。
親に自分が受け入れられないと、自信が持てなくて、物事を決めるときにいちいち不安になったり、自分のしたいことが分からなくなったりします。
新たな出会いがあっても誰かを信じて身を委ねることも、自分から気兼ねなく心を開いたりということも難しくなります。
結果として幸せに人生を生きるチャンスを逃すことにもなりかねないのではと思うのです。
今子育てに追われて大変な方もいらっしゃると思いますが、子供の小さい好奇心を潰さず、出来る範囲で見守ってあげることが、子供にとって何よりの愛情かと思います。
一人暮らしは気楽か
「一人暮らしはなかなか大変だね。」
母宛に兄からそんなメールが来たらしいです。
私の兄は数年前から隣町で一人暮らしをしております。
最初に引っ越しの手伝いで行ったっきりで、今はどんな暮らしをしているかは分からんとこが多いです。
兄が家を出た頃の母は何というか……。
ホント「抜け殻」というか、「空の巣症候群」というような状態だったものです。
母親にとって息子は「永遠の彼氏」みたいなところがある気がします。
連絡なんてあんまり寄越さないから、連絡がくると母はいつも嬉しそうです。
私は会うたび毎回、
「名探偵コナンはまだ集めてるの?」
「いつも何を食べてるの?」
と聞いてることが多いです。
名探偵コナンが続けば、単行本が兄の狭い家の床を抜くのではないかと心配しております。(笑)
あと、狭い流しで料理とか出来なさそうだし、食生活が心配なのです。
母から冒頭の話を聞いて、
「どういう理由で?」
と聞き返してしまいました。
一人暮らしが大変と聞いて想像したのは、「家賃が払えないなど、金銭的な問題」か「家事労働その他もろもろを一人でやらなければいけない時間や労力の問題」かなと。
今は兄の職場は忙しい時期なので、おそらく後者の方かなと思います。
一方私は昨日母と軽くバトルしてしまいました。
プロレスの類いではないですよ。(笑)
お互いの私物がお互いの領域を荒らしている、という些細な理由です。
私の母はどんどんモノを増やすので、狭っこい家がより狭くなるのです。
そこから火がつき、母が普段家事を全然手伝ってくれない不満が爆発して、「出来る範囲で構わないから、やってくれてもいいじゃん」と、あれこれ言いました。
昨日はホント、「人と一緒に生活するのは辛いなー」と落ち込みました。
自分の部屋なんてあってないようなもんだから、ブログだってパソコンじゃあんまり書かないし…。
そんな矢先に、兄から先のメールがきました。
今日は電車に揺られながら、
「昨日は言い過ぎたかな……。」
とチクチク感じておりました。
私は言いたいことを言えずに溜め込むよりも、お互い思っていることをぶつけ合う方が、お互いのためになると思っているのです。
その方が、相手が何を思っているか少しは分かりますし。
今日帰ったら母が家事を手伝ってくれました。
少し言い過ぎて申し訳ない気持ちと、正直にありがたかったです。
一人で生きる方が楽でもあるし、譲歩しあって誰かと生きるのも一長一短だなと感じました。
どちらの道を選んでも、それなりに大変だと思います。