ブログ2年生
今日でブログ2年生に進級しました。
正式に言うとはてなブログに開設したのは、昨年の8月なのですが、1ヶ月ぐらい記事を書いておらずですね。
最初の記事を載せたのが昨年の9月11日であります。
昨年の今頃はまだ以前の職場におりました。
長時間労働だし、同僚にいじめられてるはで、何か色んな意味でヤバイ状態でした。
色々悩んだ末に上司に「辞めたい」話をしたのが昨年の8月でした。
リアルな世界で一人闘っている時に、私が日常のことや、仕事のあれやこれやを書いたブログ記事を読んでくださる方がいたことがホントに心の支えになっていました。
「何かを変えたい」
と勢いブログを始めたものの、どんな記事を書いたらよいかいつも手探りでした。
元々大学で社会学とか心理学を学んでいて、いつかその分野に関する興味を何かの形で生かしたいという思いがあったのと、こういうダメな生き方をしてるヤツのぼやきが少しは役に立つのではないかという思いがあって、へんてこ記事を世に送り出したのであります。
続けていく中で、
「こんな内容でよいのか?」と悩んだり、
「そういえば私はそんなに社交的ではなかった」
と、勝手に落ち込むことはしょっちゅうでした。
何度も辞めようと思っておりましたが、今日までこうして続いております。
ブログも、仕事も、
「いつでも辞められる」
と思っていたぐらいの方が、気が楽で意外と続いていくものかもしれません。
人生だってきっと、そうーーーー。
このあほたれーなブログを読んでくださったり、☆をくださったり、コメントをくださったり、読者になってくださった方、ホントにありがとうございます。
自分にとって「表現」という活動は、なくてはならないものだと改めて自覚するようになった今日この頃です。
ブログのネタが切れたことはないので、後は形にするための時間やらエネルギーをいかに確保するかが今の問題です。
これからも少しでも誰かのお役に立てればありがたいです。
命の洗濯
私は基本、会社に行ったらもくもくと仕事をしているヤツなのですが、同じ部署にいる先輩と「コンビニの何とかというスイーツが美味しい」といったゆる~い話から、「私たちが年金をもらえるのは何歳か」といった堅い話までしたりします。
私はあまり自分から話しかけるタイプではないのですが、そういう「雑多な話が出来る関係性」が一度出来たら、余程のことがなければ変わらないと信じてる部分がありました。
友達と「また明日~」と別れても、確認する必要もなく明日もまた友達としていられるみたいな。
それが今週、何か調子が違う日が多かったのです。
何となく「そっけない」というか。
いつもなら私に仕事を頼む時も、「朝から大変なの来たね~」とか言いながら渡してきたりするのですが、
「やって」
と一言だけ。
「体調がすぐれない」とか、「忙しいのかな」と思っていました。
私がやれることをやろうと思ってやっていたら、
「それはやらなくていいから。」とか、
「これはこういうやり方じゃないから」
と言われてしまい、朝から何となく疲れてしまいました。
「私何かやってしまったかな……。」
と思っても、言われないと結局本人にしか分からないので、考えるのはやめました。
午後にはいつもの感じだったので、原因は分からぬままでした。
私の父親は短気で、いつもお酒を飲んで家で暴れてました。
恐らく会社でのストレスが溜まっていて、それをぶつけやすい家族にぶちまけていたのだと思います。
ただ私たち家族にしてみれば、何が原因かも分からない訳で、常に緊張状態に包まれてました。
父親が遅くに帰ってくる時には、いつも母と「寝たふり寝たふり!」と布団をかぶっていた記憶があります。
人間いつもにこにこ笑っていられる訳ではありません。
何かの事情があって、笑えない時や、つい誰かにキツく当たってしまう時もあると思います。
それは付き合いが長くなればお互い様のところがあるので、「何か虫の居所が悪いんかね~」と流すようにはしてますが、精神的なダメージがハンパないというか……。
こういう時「いちいち反応する「心」がなければいいのに」とか、「必要以上に関わらない方が傷つかなくてよかったのに」、と思ってしまいます。
私は父親も母親も兄も、みんな短気だったので、「今この人に話しかけていいのか?」と相手に気を使わせたくないといつも平静を装おうとしているところがあります。
でも人には感情というものがあって、誰かを大切にしたり、優しい言葉をかけたりする一方で、「死ね」だの「ウザイ」だのといって誰かを仲間外れにしたりするものです。
だから某ベストセラー本に書いてあるように、
「全ての悩みは人間関係である」
なんてことも、ある部分では「そうかもしれない」と思ってしまう訳です。
でも人と全く関わらないで生きることは出来ないので、人間関係で負った傷のようなものは、自分で消化していくしかないのだと思います。
私のブログのアイコンはお空のマークですが、空を見ていると一瞬憂いを忘れられたりします。
写真を撮るのも好きなので、結構気晴らしになったりします。
最近海に行きたいと思っているので、静かな海でも見て、何か近くでご飯でも食べて、「命の洗濯」をしてきたいなと思ったりしています。
人生という名の演劇
段々と涼しくなってきて、暑がりの私にしてみたら嬉しいような、夏が終わっていくのが寂しいような今日この頃です。
家庭内にも別な意味で「冷たい空気」が充満しております。
母と些細なことで口論になりました。
私は家事を大抵やってますが、仕事で疲れてしまって夕飯を食べた後に寝てしまうことが最近多く、それが母にとってはイライラするのだそうです。
私としては身が持たないので、少しは考慮して欲しいと思うのですが、母いわく、母が私の年齢の頃は子供も2人いて、それでも家事も全部一人でやっていたのだから、私に出来ないはずがないーーーとのこと。
「私に出来たのだからあなたも出来る」
という考え方が私はどうも苦手で、「出来なくても私がやれる範囲でやってるじゃん!」と、噛みついてしまうのですよ。
完璧じゃない相手を受け入れるから、私も完璧にいかなくても許してよと思うのです。
喧嘩が始まると恐ろしいもので、普段は言わなくてもいいことまで言ってしまいます。
母の「自分も大変だった話」から、
私の「そんな大変だ大変だって言うなら、何で子供を生んだの!」話になり、
結局「あなたは子供を生んで育てたことがないから分からないんだよ。」から、
「育ててきてそんなに文句言われるなら、生まなければよかった。」で終結しました。
これを言われてしまうと、さすがに何も言えない……。
経験はなくとも子育てが大変なのは想像がつきます。だって「人間」を一から育てるのだから。
けれど、未経験者はどうしても経験者には勝てません。
それに「生まなければよかった」と言われても、私がいない時代に戻ってやり直すことなど絶対に出来ません。
それが可能なら、とっくにやっています。
私のくそ真面目な性格やら、不器用な振る舞いの自分自身に嫌気がさして、何度も「生まれてこなければよかった」と思ったものです。
先日新聞のニュースで、親が子供を育てられない、望まない妊娠だったなどの事情で、生まれた子供が捨てられている問題の記事が載っていました。
人一人が生まれて、自分の足で歩けるようになるまで、親はかなりの労力、お金、時間を費やさなくてはならず、「何となく子供が欲しかった」とかでは済まされない問題であるかを物語っています。
親の事情がどうであろうと、一度この世に生まれて存在するならば、子供は親とは別の人間として、死ぬまで生き続けなければなりません。
人生はまるで演劇のようです。
親が子供を持つ行為は、単なる始まりに過ぎません。
演劇に例えるならば、親はあくまでも劇場を用意したということです。
始めは資金提供したり、劇場の設備をよくしたりはしますが、そこでどんな演劇を上映するかは、子供自身が考えて行わなくてはなりません。
親が自分はどういう演劇を上映しているか示したり、どういう演劇なら楽しめるか、アドバイスすることは出来ても、代わりに脚本を書くことは出来ないのです。
生き続けていれば、自分の演劇に興味を持って見に来てくれる人(友人)や、面白そうだからそばにいて、一緒に脚本を書いてみようとする人(恋人や結婚相手)が現れます。
そういう人が誰も現れず、孤独に劇を上映し続ける人生の人もいます。
でも生きていれば、シナリオはいくらでも変更可能です。
悲劇ばかり上映している人も、他人の喜劇を見たら、自分もそういう脚本を書きたくなるかもしれません。
どんな演劇を上映してよいのか分からない人は、他人の劇を一杯見て、色々な人の人生を知って、自分なりの脚本を作り上げるしかありません。
今辛い環境で耐えている人も、そうでない人も。
「生きていれば何とかなる」精神で。
何度も劇場破壊を試みようとした、一脚本家より願いを込めて。
人生で必要なものは疑問力
8月ももうすぐ終わりですね。
たんまりと宿題を溜め込んでる学生の方は、最後の追い込みをかけてる頃でしょうか。(^_^;)
私は、というと、漢字ドリルやら計算ドリルやら、とっつきやすそうなやつは先に片付けて、読書感想文とか時間のかかりそうなのは後回しにしていたような気がします。
読書感想文…………。
結構苦手でしたね。(~_~;)
何が大変かというと、
①「まず十分理解できる読解力が必要」
②「そして読んだ内容を分かりやすくまとめる文章力が必要」
③「かつ決められた本を読んで感想を書かなければいけない」
からだと思います。
①、②についてですが、
当ブログでも、読んだ本で記事にしたいと思う本はあったりしますが、自分の能力不足で結構これがムズカシイ……と今でも思っております。
何が難しいって、書評は人に勉強を教えるのと似たようなもんで、自分が人に説明出来るぐらい読み込んで、理解して、人に分かりやすく説明しないとあかんからです。
それでも③のように、自分の興味外かもしれない決められた本を読んで、読解力と忍耐力(笑)を鍛えろということなんでしょうか。
私は自分で読みたい本を探すことから始めることに、読書感想文の意味があるのではないかと思うのです。
自分で課題を探し、考え、自分なりの解決策やら意見を表明するところに意味を感じるのです。
私は高校時代まで、ほとんど本は読んでませんでした。(漫画ばっかり描いてたので)
それが大学に入ってから、必然的に本を読むようになりました。
私が大学1年の時の必修科目に、文献を読んで文章を書くような基礎講座の授業がありました。
文系の学部(社会学とかその周辺)だったので、恐らく卒論のための初期段階という位置付けなのかもしれません。
テーマは何でもよかったので、その時「少年犯罪」について書くことにしたのですが、まずどうやってテーマにそった文献を探していいかあっぱっぱ~状態でしたね。
私が学んでいたのは社会問題とかを扱う学部だったので、ゼミとか他の授業で自分の意見を明確にするためにも、本を読まないと議論に参加出来なくなったり、課題をこなせないんですよね……。
そんなこんなで過ごした4年間は楽しかったし、貴重な時間だったと思います。
当時から関心のあった若者の就労問題とか心理的な問題とかは、今でも関心があって、気がつくとそんな本ばっかり読んでますからね。
私が学生してた頃よりも、知りたい情報は大抵ネットで得られる時代になりました。
それでも検索にかからない情報というのはあります。
自分が日々の生活の中で、「何でだろう~何でだろう~♪」と疑問を持つということは、個人が学んで成長していく過程で必要不可欠だなと思います。
自分の興味のあることについて調べて、まとめてという作業は決して無駄にはならないと思います。
自分の生き方を考える上で、疑問力を持つことは、次に何をすべきかを示す行動力にもなるからです。
今学生の方も、昔学生だった方も、これから学生になる小さい子も、疑問力を大切にして生きて欲しいと思います。
どうかしている人たち
先日会社でのお昼ご飯に、セブンイレブンで買ったUFOみたいな形のパンを食べました。
中に生クリームがたっぷり入っていて、甘いものがお好きな方ははまるかもしれません。
これです。
⬇
(カロリー高めらしいです)
結構気に入ったので、母にも食べさせようと1つ買って帰ったら、家にこのUFOパンが2つもありました。
「ぬ?(@_@)」
どうやら母がセブンイレブンに行く用事があって、見たら美味しそうだったからと私の分と2つ買ってきたらしいのです。
母とは最近、同じお店(スーパー)に別々に行って、買ってくるものがかぶることが結構ありました。
結果冷蔵庫になすだらけ、とかになってしまったり。(笑)
似てる、といえば髪型についても。
私は最近髪を伸ばしておりますが、あんなに私に「髪を短くしろー!」と言っていた母が前より伸ばすようになりました。
私にとっては驚き桃の木山椒の木です。
やっぱり一緒に暮らしてると似てくる部分はあるのでしょうか。
よく夫婦を見ると、顔がどことなく似ているように見える時もありますからね。
まあ似てくる部分もある一方で、価値観の違いから衝突するのが世の常ではないでしょうか。
それは個人間レベルから国家間レベルに至るまで、いじめやケンカから戦争にと、争いは絶えることはありません。
私は現在30代前半ですが、この歳になってもほぼ人との交流がなく、話すのは会社の人か家族ぐらい。
そんなままで一生を終えるような気がして、時折寂しさでうんうんとうなりそうな時があります。(笑)
自分から話しかけた人が自分に関心があるわけではないので迷惑だろうなと考えて、自分に話しかけてくれた人となら大丈夫かしらーといつも受け身になってしまいます。
会社では大抵先輩が話かけてくれるので、ちらと話すくらい。
皆育ってきた環境も違うし、特に価値観が多様化している現代で、似たような価値観で生きている人が自分以外にもいたら、それは奇跡じゃないかーと思ってしまいます。
(私自身へんなやつなので、似たような人がいたら腰を抜かすだろうね。)
結婚されてる方は、どこか相手に自分と似たような部分を発見されて一緒になられているのだと思います。
価値観が似ている人と一緒にいる方が「ツーカーの仲」になりやすいですし、お互い心理的負担も少なくて済みますよね。
とはいっても完全にピタリと合う人なんていないので、長く付き合っていく中でお互いに合わせたりして、「同化」していくものなのかもしれません。
相手に合わせ過ぎるのも窒息しそうですし、かといって我を通しまくったら関係が成り立たなくなってしまいますからね。
付かず離れずのバランスというのが一番難しいですね。
田舎が遠い《後編》~思い出をたどる編~
前回に続き、田舎に帰省した話です。
お昼前頃には現地に着きました。
祖母は掃除機をかけていたところで、忙しそうでした。
私と母は仏壇に線香をあげてから、お墓参りをしてきました。
お墓の墓碑には私の先祖の名前や没年などが刻まれており、母の実父が33で亡くなったことを、改めて早すぎたと感じました。
戻ってから祖母とあれやこれやと話してました。
祖母がお昼御飯を用意してくれて、一緒に食べました。
少し前に電話で「(うちから送った)昔の写真が出てきた」と祖母が言っていて、私が茶碗を洗っている間に祖母と母がそれを見てました。
私も戻ってきて「どれどれ~」と参加しました。
とにかく母が若い。
日付が1987年のものがほとんどで(昔は写真に日付が入ってたのね~)、私と兄がまだ小さくてちょろちょろしてました。
そして20年ぶりぐらいに見る父親……。
私の顔や体質などは父親に似ている部分が多いのです。
ずっとそれが自分を受け入れられない原因の一つでもありました。
今でもそれは変わらないし、今となっては内面だけは同じになるまいと念じるようになってはいるけど、そこに至るまで一杯悩みましたよ。
帰省中に会う予定の母の友人は、祖母の家から少し離れたところに住んでらっしゃるので、12日の夕方には祖母の家を出て、移動したところで1泊しました。
あまり電車の本数がないので、いつも日帰りした時とさして変わらぬ滞在時間でお別れになってしまい、家を出る時祖母はやはり寂しそうでした。
翌日母の友人と会いました。
午前中はお墓参りがあるとのことでお昼頃に会うことになりました。
午前中は空いていたので、近くにあるお城に観光してきました。
私が小学校中学年頃に行ったっきりで、もう一度行ってみたいなとは常々思っておりました。
母は疲れて「天守閣の階段がキツイ」と言っていたので、一人で流れるように見てきました。
幕末とかお好きな方は一度は行かれたことがあるかもしれないですね。
お城の内部にお土産屋があったので、母にお土産を買って戻りました。
その後母の友人がお城まで迎えに来てくださり、私たちが帰る駅の近くで一緒に食事しました。
私がいたらお邪魔かな、と思っていたら、気さくな方で私も同席することになりました。
私は学生時代にいじめられたり、人付き合いが上手い方ではなかったので、こうして歳を重ねてから会うことの出来る友人がおらんのです。
だからこうして同じ思い出を共有できる人が一人でもいることが羨ましいと思うのです。
母の友人を通じてこの街の変化を知りました。
私がこの辺りに来たのは20年前ぐらいなるので、変わっていても不思議ではないのですが、随分お店が減って寂しい感じがしました。
今回の帰省は、時の流れを強く感じさせられるような旅になりました。
懐かしの場所にも時は流れて、日々消えては生まれてを繰り返しているーーー。
明日のことは誰にも分からないから、今出来ることは可能な限り実行するべきだと思いました。
私の祖母も母の友人も、どこか母に「会う機会」を待っていたような感じがして、今回はばたばたしてしまいましたが、会いに行ってよかったとつくづく感じました。
田舎が遠い《前編》~チケットが取れない編~
8月の12、13日と、1泊2日で東北の田舎に帰省してきました。
かなりハードスケジュールで、帰ってきたら熱を出して1日臥せてました。(~_~;)
元々田舎に帰ろうか迷っていたのです。
仕事が多忙でよれよれだし金欠なので、お盆休みは図書館で借りてきた本でも読んで、ゆっくりしようかと思っとったのです。
でも、こんなまとまった連休があるのもこの先あるか分からんなと思ったのです。
私の祖母は80歳を越え、まだ自分で動けるくらい元気ではありますが、悲しいことにそれがずっと続くとは言えないのです。
叔母(母の妹)が早くに亡くなったこともあって、母には会える時に祖母に会っておくべきと常々話しておりました。
母には故郷に中高の頃の友人がいて、年賀状だけのやりとりをずっと続けていたのですが、時々彼女との思い出話を聞くこともあったので、大切な人なら会っておくべきという思いが同時にありました。
地図で見ると近くに思える距離も、いざ行こうとなると遠く感じられるものです。
でも何かしら自分で行動を起こさないと、なかなか会う機会なんて生まれないのです。
そういう事情があって、いつもは日帰りで田舎に帰り、いそいそと帰ってくるのですが、今回は1泊泊まりで行くことになったのです。
そんなこんなの事情で、田舎に帰る決心をして電車の時刻表を眺めたのは11日のこと。
田舎に帰るのに、いつもなら朝早くに駅のホームに並んで、電車の席取りをして、乗り換え1回の鈍行列車に5時間くらい揺られて帰るのですが、時刻表をひさしぶりに見てびっくり。
「え"っ、電車ないじゃん!!!!!」
最近新型車両が導入されたのは知っておりましたが、乗り換える駅まで指定席なしで1本で行けてた電車が 全て指定席の特急に変わっておりました。
慌ててチケットを取りに駅に向かいましたが、行きはことごとく「満席」とのこと。
帰りの電車は母と私の2席離れるけど取れるとのことでした。
「行けなきゃ意味ないんじゃー!」
そもそも指定席を前日に取ろうというのが無謀な話。ましてやお盆休みの土曜日……。
駅に来る前にこれも空いてるところを探しまくって宿も取ったのに、これは諦めるしかないかと。
時刻表を諦めモードで眺めてたら、普通列車を4回乗り継げば行けるのを確認しました。
「4回……。」
とは思いましたが、行くにはそれしかないんだから、と腹をくくりました。
元々途中駅までの利用者が多い路線でしたし、最後まで乗りたい乗客にとっては時間がかかり過ぎる路線ではありました。
仕方ないといえば仕方ないのですが、これまでのように「じゃあ明日行こう!」の気軽さはなくなってしまいました。
前々から計画を練らなくては田舎に行けなくなって、かなーり窮屈な感じがしました。
というわけで、行きは乗り継ぎ4回で行くことになりました。
朝は5時半ぐらいに家を出る計画でした。
母は私より支度に時間がかかるので、4時頃には起きるつもりでした。
荷造りやら何やらで寝たのが深夜2時頃。
「2時間しか寝れんな~」
と思って目が覚めたのは朝の5時……。
「うそっ、5時!!!!!!!」
もう日汗が止まりません。
母を何度も起こしてもすぐ寝てしまうし、朝御飯を流し込んで、フル回転で準備し、母を引きずるようにして駅まで走りました。
雨が結構降ってきていたので、傘を差しながら、母の荷物と自分の荷物を抱えて、朝から障害物競争状態でした。
何とか電車には間に合い一安心。
私はまた寝過ごしたらヤバイと、かなり気を張ってました。
いつもならお弁当でも食べて、のんびり外を眺めてられたのに……。
空模様は目まぐるしく変わっていました。
晴れたかと思えば雨は降ってくる、の繰り返しでした。
➡次回につづく