心の平和
今日は夕方晩ごはんの食材を買いに近所のお店に行ったらものすごい人だった。
皆余裕がない感じで、私を押しのけて品物を見ようとしたり、ぶつかってきたりした。
ただそれだけで疲れてしまい、いつも休みはもっと早い時間に買い物に行くのに「日曜の夕方」に行ったことを「失敗した!」と思った。
何となく今の時代を思うと、
「人々の精神にゆとりがなくなってる。」
とか、
「他人に対して寛容でない。」
と感じることが多い。
自分が生まれる前の戦時中とかは、もっと世の中混沌としていただろうし、その時代を生きる人の精神にも何らかの影響を与えていただろうと思う。
今はどうだろう。
自分が4半世紀以上生きてきて、
「何か世の中よくなってきてるな~。」
と感じることはなかったし、むしろ時代の変化の波が急流となって押し寄せて、それから生き延びるために必死で、周りに構ってる余裕がなくなったような気がする。
将来も不安定で、希望すら抱くのも無駄じゃないかと思わせるものがある。
私の家庭環境は私が生まれた時からすでに両親の争いが耐えなくて、毎日戦場にいるような感じだった。
だからいつしか同じように同調するのではなく、自分だけは穏やかにいようという考えになっていった。
「誰だって完璧ではないし、行動一つとっても何かの理由があるはず。」
母は今の私の職場環境を思って、
「精神が私より強いね。耐えてるんだもん。」
というのだが、心の中では大気圏を突破して宇宙にでも逃げ出したいくらい辛いのになぁというところだ。
私は以前読んだ小説に出できた「心の平和」という言葉が気に入っていて、時々思い出す。
その小説での意味は、そう発言した彼が友人に対して「お前たちは俺の心の平和なんだよ。」というような感じで使っていた気がする。
時代がどんなに明るくなくても、毎日が辛くても、皆が各々の「心の平和」を保てれば、乗り切るための活力になるのではないかと思う。
それは家族とか友人でもいいし、好きな音楽や本やゲームとかモノでも構わない。
何でもよいので自分が苦しくなく自分でいられる環境が一つでもあればいいと思う。
ずっと辛い現実を見ている時に、少しでも逃げ場を作っておくとよいのではないか。
私の心の平和は家族であったり、ずっと飽きずに描いてきた漫画やイラストとか写真撮りとかだったりする。他にも本読んだり、小旅行とか好きだ。
時間がないのでほとんど何も出来ないことが多いが、煮詰まらないように何か意識的にやらないと思っている。
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今年誕生20周年になるポムポムプリンです。
20年ずっと溺愛してます。(笑)