夢は夢のまま

教科書もマニュアルもない人生という学校で、共に学び、支え合い、卒業を目指すためのブログ。

一緒に生きるということ

昨日一人暮らしをしている兄が家に来ました。

今までそんなに頻繁に来る感じではなかったのに、先日家に来てからそんなにたたずにやって来ました。
どうやら話があるとのこと。



先日家に来た時に兄の友人達の結婚話があって、独身の兄を思って私はそれから、「兄が結婚するためにはどうしたらよいのか」と漠然と考えていました。(何やってんねん。)



「今の女性は何を求めているのだろう……。」



よく女性は男性に「経済力」を求め、男性は女性に「若さ」を求めるといいます。

それは老後の生活のこととか、将来子供を持つことを見据えてのことだと想像は出来るのですが……。

子供に関しては、なるべくリスクを少なくして子供を生みたいとか、子供にかかるお金なんてめちゃんこかかるから、少しでも収入が多い方がいいとか。



兄は高給取りでもないでしょうし、見た目も美男子というわけでもなく、身長も160cm台で決して高い方ではありませぬ。
「条件」だけで判断されてしまうと、厳しいなぁと思っておりました。



で、兄からの話というのは……。



「今付き合っている人。」
と、写真を見せられました。


「へ?」


「将来的には結婚したいと思ってる。」



正直驚く気持ちはありましたが、若干察しはついておりました。

兄の性格が最近穏やかになったと感じていたこと。
身なりに気を配るようになったこと。
先日夕食を一緒に食べたら、今までそんなことあまりしなかったのに、お皿を洗って帰ったこと。


それらの「変化」に、どこかで頭を打ってきたのかと驚きつつ(笑)、きっと「こういうこと」なんだろうなとは思っておりました。


まだ先はどうなるか分かりませんが、私は兄が幸せそうで安心しました。
母は幸せを願いつつも寂しそうな、複雑な心境だったのかと思います。




「で、お前はどうなの?」



と聞かれ、不意打ちを食らったような形になってしまいました。



「何かお前を見てると「修行僧」みたいだからさ。」



要するに、端から見ると「幸せそうではない」ということでした。

私にとって、「今幸せか?」と聞かれるのが一番堪えるのです。



兄には分からない。
母にも分からない。



父親だったら、少しは分かるかもしれない。

前の職場で上手くいかなかった時に、
「もしかして「普通」じゃないんじゃね?」
と感じたこと。

あまりにも周りの空気が読めなくて、要領が悪くて、人の気持ちを察することが出来ない……。

それから発達障害の本とか読み漁って、周りには分かってもらえなくても、そこに「生きづらさ」の原因を求めることが出来たこと。

父親とは12年ぐらいしか一緒にいなかったのに、思い出す記憶の随所に私と「同じもの」を感じてしまったのである。


よく自分が発達障害と分かった方の中には、「生きづらさの原因が分かって良かった」という方もおられるが、私はそう感じなくもなかったけど、
「もう「普通」では生きられない」
と自分を追い込む形になってしまった。

だから病院とかも一度は予約したのにやめてしまったことがある。
はっきりさせたい思いと、はっきりさせたくない思いが心の中でずっと葛藤している。


過去にいじめにあったことや、人間関係が上手くいかなかったことや、親に怒られまくって自尊心が見出だせなかったことなどが、自分の中で大きな塊のようなものになってしまっている。


こんな負の感情に支配されたまま生きる人生を終わりにしたいのに、これから先も新しく人と出会ってはトラブルを巻き起こしていくのだと思っただけで絶望的になってしまう。



母とは何度も言い争いが絶えないので、自分は障害かもしれないと話したことがあって、最近では関連の番組とかも一緒に見たりして、少しは分かろうとしてくれている部分を感じたりはしている。

でも……。


こんな面倒くさい状態の自分を支えて生きていくのこそ面倒くさくて、自分のことだけで精一杯になって周りに対して何も出来ないことの罪悪感を感じるのです。


誰かと一緒にいること、誰かと一緒に生きることとは「その人が背負っているものを一緒に背負うこと」。


私はきっと自分のことで精一杯。
それどころか相手に負担をかけすぎて倒してしまうかもしれない。



それでも私が兄の幸せを願うように、兄も私の幸せを願っていて、それを諭すように言われてしまった。

私のことは放っておいて欲しい。
兄が幸せならそれでいいから。


でも兄も母も、私が叔母のように自己破壊的に生きて死んでいくのを許してくれなかった。

それは「家族」だから。




結婚の条件うんぬんと世間では言われてますが、相手の背負ってきたバックグラウンドを背負えるようになったら、「その時」がくるのかもしれません。


私は今生きていることだけで精一杯になっておりますが、自分と同じような症状で苦しんでいる方の理解が深まり、支えていけるように強くならねばなりませんね。