父親の暴力を止めるには
今年2018年は、私にとって色々と昔を思い出す年であったりします。
大学を卒業してから10年。
両親が離婚してから20年。
最近ふとそのことに気づいて、「もうそんなに経つのか……。」
と、時の流れの早さを感じたりします。
年末年始に風邪を引きまして、それ自体の症状は落ち着いてきているのですが、体の疲れがずっと抜けず、いつも仕事終わりや休みの日は「ぐったり」してることが多い今日この頃……。
正直ブログも続けられそうにないや……、と思ったりしてます。
最近その「今年はあれから何年ーー」を思い出している時に、気になる事件があったので記事にしようと思いました。
私の育った家庭は、父親が酒を飲んでは(飲んでない時でも)母親に対して怒鳴ったり殴ったりが毎日のようにあり、毎日が戦場で修羅場でした。
ニュースで酒に酔った父親が、家族に暴力だの文句だのを浴びせて、結果それを止めに入った息子が父親を殺してしまったという事件が伝えられていました。
私にも思うところがあり、どうすればこのような事件が起きなくて済むのか考えたりしてました。
私の家の場合、私が生まれた時には既に家庭は崩壊していて、いつも家は心休まらない場所でした。
私の父親のような人は、怒るきっかけは何でもいいのだと思います。
些細なことに目をつけて、それを怒鳴りつけることで日頃のストレスを発散するだけです。
言われる方は何がきっかけになるか分からんもんだから、いつもびくびくして縮こまっていなければなりません。
母は家を出るしか生きる道はないと思っていました。
それまで父親はほぼ子育てに関与してませんでしたが、母一人で働きながら子供の面倒を見なくてはならないので、ある程度子供が大きくなって放っておいても何とかなるような年まで、と暴力に耐えてました。
それで私が中学に入った年に調停離婚しました。
私達の居場所が分からないようにしたはずなのに、新住所に父親から手紙が来たときは、一気に血の気が引きました。
今よりも市区町村の個人情報の管理は厳しくなかったのだと思います。
「子供の養育費を払いたい」とか何とか言えば見せてもらえたんだと思いますが、こちらとしては「DV親父に何で住所を教えるねん!」と、憤っておりました。
それからの生活はお金もないし、精神面でも色々と苦労しましたが、あの場に留まり続けるよりは家を出た方が本当に良かったと思っております。
最近では両親の喧嘩は心理的虐待との見方もされるようになってはきましたが、それに対する対応策というのは正直難しいところがあると思います。
今回の事件は、父親の状態が危ないと思ったら警察を呼ぶのが一番よかったのかもしれませんが、とっさにそこまで考えられるかというと、疑問であったりします。
私の場合、「怖い」と「何とかしないと」との間でいつも葛藤してましたし、幸い父親が子供達に手を上げなかったから私が母親の盾になれた訳で、これが私もぶん殴られたり刃物を向けられたりしていたら、ここで「はてなブログ」を書いていなかったかもしれません。
当時の私は、第三者に頼るところがなく、「もう自分達で何とかするしかない」と思っておりました。
こういう状況の時に相談出来る窓口が広く知られていれば、結末は違っていたかもしれないですね。