人とのつながり方が分からない
平日の朝に、会社の最寄り駅前を眠気に負けたしょぼい顔で歩いていると、手をつないで出勤している
男女を見かけます。
大人だけでなく学生もです。
私は通勤・通学というと、これから戦場に赴くような気分になるのですが、手をつないでいる人達はまるでエデンから通勤・通学しているのかというぐらい楽しそうに見えます。
街で、お店で、電車でーーー。
至るところで「誰か」と一緒にいる人を見ると、彼、彼女達は「何で」繋がっているのだろうと想像してしまいます。
ネットが普及して、従来とは違った出会い方が増えました。
それまでは「同じ地域に住んでいる」とか、「同じ学校に通っている」とか同じ場所にいることが共通項となって人と親しくなるケースが想像できます。
なので違う趣味を持ったクラスメートとも親しくなることも不思議ではありません。
今はそういった場所的な繋がりに加えて、ウェブ上で似たような趣味・嗜好や考え方で繋がる機会が増えました。
私は以前友人に自分の好きな歌手の話をしたら、
「私は(その人)好きじゃない」
と言われたことがあって、それから趣味の話を友人にあまりしなくなりました。
何だろう。
自分の好きな人を否定されると、
「私は(あなたのことが)好きじゃない」
と言われている気分になるのは…………。
身近な人に対する欲求不満?みたいなものを解消するために、ツイッターとかのソーシャルメディアが
役立ってるんですね。
となると、「誰とも共通項を見いだせない人」は孤立するしかないのでしょうか。
私は人と親しくなる方法がこの歳になってもよう分からんのです。
人見知りではありますが、話すこと自体は嫌いではないので抵抗はそれほどないです。
ただ、「その次に繋がる何か」が分からんのです。
「学校」で親しくなった友人も卒業してしまえば終わりです。
人は一人でもお金があれば何とかなる部分はあります。
生まれも育ちも違う人同士が分かり合うのもそう簡単ではないし、皆が違うからこそ衝突したり、気を使ったりして「人付き合いめんどくせー」となるのもよう分かります。
ただ苦手とか不得意であっても、人と衝突することで自分が見えてきたりすることがあります。
人でもよいし、世に起きている事件のニュースでもよいのですが、「何か」に自分を映してみることで「自分ってこういうヤツなんだぜ。」と見えてくる気がします。
私にはウェブ上で熱く語れるような趣味とかがありません。
漫画については少し分かってても、もっと詳しい人は一杯おられます。
ブログを始めて半年ぐらいになりました。
やってみて初めて駅前で歌ってる路上ミュージシャンの気持ちが分かりました。
自己満足のためなのか、いつか想いが届く誰かを期待して歌ってるのか。
自分が「何をもって」人と繋がれるのか分からないから、こうして思ってることをブログという形で出してみるという今に至っております。