人工知能は感情を持つようになるか
先日『アンドロイドレディのキスは甘いのか』(黒川伊保子著,2017,河出書房新社)という本を図書館で借りて読みました。
タイトルを見て少しその場で固まりましたが(笑)、人工知能の話とか関心があったのと、ぱらっとめくったら読みやすそうだったので借りてみました。
内容の大筋は、
「人工知能が人間を越える日が来るのか」
という問いに対して、タイトルから察しがつく通り「アンドロイドは感情を持ちうるか」という観点から著者の意見が述べられておりました。
計算や素早く情報を処理する能力などにおいては人間は人工知能には勝てません。
しかし、「人工知能には感情は持てない」が故に人工知能は人間を越えられないと著者は述べておりました。
人工知能を人間らしく振る舞うようにさせるとしたら、人間の行動パターンをいくつも覚えさせます。
記憶した情報を元に状況に応じて、「適切な」対応を取るようにします。
しかしそこには何の感情の働きもありません。
「寂しい」と話かければ、「どうしたの?」と言ってくれるかもしれません。
人間であれば、その人が大切で何とかしてあげたいからいうのかもしれませんが、機械はただ「寂しい」というワードに対して「適切な」言葉を引き出しているに過ぎないというわけです。
誰かのブログを読んでいる方だったらうなずけるだろうという例が本書にはありました。
このワタクシのブログ、人工知能が書いてるんですよ。
ということだったらどうでしょうか。
私の今まで書いたブログの記事の文体とか、写真や絵の載せ方を記憶させておいて、あるキーワードを毎回与えて自動更新にしておくという。
このブログは風が吹けばどこかに吹き飛んでしまうくらい「うっすーい」内容の「しょーもない」ブログですが、少なくとも「うっすーい」「しょーもない」ヤツが書いているということは分かるでしょう。
ただ実際、私がスマートフォンを片手に書き書きしてるかは読んでくれている方には分からんのです。
小説や漫画でもよいのですが、作品を通じて読者は作者の人間性を感じとるもんです。
それによって作品や作者自身に惚れ込んだりするわけです。
それが全部「人工知能」が書いてたりしたら、モロがっかりしますよね。
「何だ全部作りもんやん!!」
って発狂してしまうかもしれません。(笑)
安心してください。(私が)書いてますよ。
(って古いな)
もしアンドロイドが感情を持ったら人間には勝ち目がなくなるんでしょうか。
ハンサムで気配りが出来たり、綺麗でナイスバディーなアンドロイドが出てきたら、人は色んな意味で「わずらわしくない」アンドロイドとの人生を選択するのでしょうか。
まぁ、そういうアンドロイドが開発されたとしても、その頃には私は生きておらんだろうので、その点はあまり心配はいらんかねー。(^_^;)
それに、より人間に近づけるためには「人間とはこういうものだ」という定義が必要なわけで、そんなことが簡単に出来れば哲学や心理学やあらゆる学問が要らなくなってしまいますねん。
私は「アンドロイドが感情を持ってうんぬん」という話が結構好きです。
ただ現実の人間は完璧でないところがあって、時に予想もつかないことをしたり言ったりします。
私は器用そうな人より不器用そうな人の方が好きですが、やはり不器用な人の方が人間らしいからかもしれませぬ。
どんな人であろうと、後にも先にも同じ人は存在しません。
『鋼の錬金術師』でエルリック兄弟が体を失っても亡くなった母親を作り得なかったように、「人間」を作ろうとしてはいけないのかもしれません。
人工知能が感情を持つのはフィクションの世界だけに留めて、人間はたった一つの人生を喜怒哀楽を経験しながら生き抜くのが一番かと思います。