夢は夢のまま

教科書もマニュアルもない人生という学校で、共に学び、支え合い、卒業を目指すためのブログ。

自分を表すことで現れてくるもの

以前、私が大学時代に心理学を学んでいた話を聞いたある方から、

「すごいっすね。相手が何考えてるか分かるんですね。」

と言われことがあります。



……。



「そんなの分かるかいっ!!!!!!(@_@)」



分かるんであれば、今まで苦労しなかったわ……。


……はて?
相手の考えていることが仮に分かれば、苦労はしないのだろうか?

ドラゴンボール』という漫画に、相手の戦闘力がわかる「スカウター」という道具が出てきます。
それみたいに、覗いた相手の人間が自分に好意的かどうか分かる機械があったら……。



私はそんなもの恐ろしくて、とてもとても使えません。

片思いをしてる人なら、相手が自分にどれくらい好意的か分かれば、「いきなり告白して玉砕」なんてことは減るかもしれません。


ただ、自分が所属する組織(学校や会社など)の人が、自分に対してかなりの割合で好意的でないことが「数値化」されてしまったら、ショックでもう部屋から一歩も出られなくなってしまいます。



現実には(いいのか悪いのか)心の「スカウター」はないので、自分自身の「価値観」とか「直感」という「スカウター」ではかるしかありません。



心理学は「事前に相手を知る」というより、「起きた現象から遡って相手を知る」という学問でしょうか。

私は人生で何度かいじめにあってきましたが、いつもいじめをする人に「何が」そうさせたのか、考えたりしました。

その人が育ってきた家庭は、その人にとっての「居場所」となっていなかったのか、とか。
学問として成り立つには、それら個人の事例の集まりが必要ですけどね。



誰かを知る時だって、その人がどういう人か情報があればあるほど、それだけ輪郭がはっきりしてくるかもしれません。


私のブログはあまりそういうところは充実してないかもしれないですね。(~_~;)

正直どういうふうに自分を表したらいいか、分からないのが自分で、今まで誤解(?)をうけたり、「何を考えてるか分からない」と言われたりしました。


だから取りあえず記事を書いていけば、自分がどういうヤツか、ぼんやりとでも輪郭が見えてくるかなという感じで。

それを見て、
「おっ、ヘンなやつがブログ書いてるぞ。」
と気になられる方がいたら、老若男女関わらず、読んでいただければ幸いです。



「私」という輪郭が表れてくるにつれて、私に好意的でない人もおられるかもしれません。

でも変えられないのが自分自身というもの。


今はネット上には正しいのか偽りなのか分からない情報があふれてて、それを基準に「この人はこういうやつだ」と判断されます。
(有名人とか特にね。)

それが「自分の思う自分」とはかけ離れていってしまう場合もあると思います。


だからこそ「表現」というものが難しいのだと思います。
偽らず、かつ人を傷つけない表現なんてあるのかも分からぬものです。


だから私は、表に出てくる「表現」(言葉なり表情だったり、絵画や本などでも)の「元」になるもの(不安や、喜びなどその他もろもろ)を、しっかり見極める目を養いたいと日々思っております。



たくさん人と繋がれて、時には簡単に人を切り捨てたり切り捨てられる時代。

これまで人と分かり合えない悲しみと格闘してきた私ですが、当ブログを通じて、誰かが少しでも前向きな気持ちを持てたらよいなと思っております。