寂しいと死んでしまうのは、うさぎではなく人間
もう20年ぐらい前の話ですが、私が通っていた小学校では当時チャボを2羽、うさぎを2羽飼っておりました。
小学生だった私の中で当時うさちゃんブームが巻き起こっていて(笑)、小学校6年の時に飼育委員になってお世話をしたり、夏休みの課題でうさぎの種類を調べて出したりしてました。
私は友人と一緒に委員をしてましたので、うさぎを1匹ずつ面倒見てました。
(チャボは同じクラスの男子児童2人がお世話してました。)
私が中学校に上がってすぐ、人づてにうさぎ達2羽が相次いで亡くなったと聞きました。
驚きとショックを隠せませんでした。
私は友人と死因についてあれこれ推測して(寿命説、病気説うんぬん)、顔を見合わせて、
「うさぎは寂しいと死んじゃうのかな……。」
と「まさかね~」という感じで話していたことを最近ふと思い出して、ネットで調べてしまいました。
そしたら「うさぎは不衛生にしてるとよくない」という話をどこかで見ました。
それには思い当たるといえば思い当たるような……。
私の一年下の飼育委員の男子児童がよく、掃除当番をすっぽかしていて、友人とよく「困ったものだ」と話しておりました。
断定は出来ないけれど……、まさかね。
それにしても、うさぎは放っておかれると「寂しい」って感じるのでしょうか。
昔祖母の家で飼っていた犬は、私達が帰省すると嬉しいのか、飛びかかってきましたが。(笑)
「放っておかれると寂しいのは人間」なのではないかと思ったりします。
今日ネットのニュースをぼーっと見ていたら、「親が自分よりスマホを大切にしている」と感じている子供が2割いるとかそんな話が載ってました。
子供に自我が出てきて、自分一人の世界を持ち始める年齢になったらまだしも、それ以前の小さい子どもだったらかわいそうだなと正直思いました。
ちょっとそれるかもしれませんが、私の母は私がブログを始めた頃からツイッターをしております。
私の話は聞いてるような聞いていないような、「現実の私のつぶやきはことごとく無視されてるんじゃないか」ということがありました。
以前私が外出する前に、「~行ってくるからね。分かった?」と念を押して出かけた時に、帰ってくるなり「帰ってくるの遅い!私聞いていないよ!」と怒られて、言った言わないの口論になったことがありました。
最近私がつらいことがあって、そういう時は本を読んだり、音楽ガンガンにして「我の世界」になったりしてたのですが、それに対して「私の話を聞いてない!」と口論になったり……。
母とは本当バトルしてばかりですよ。(苦笑)
私は小さい頃から母に怒られてばかりいて、よく家から追い出されていました。
母は「お前は小さい時から何考えてるか分からん」と言います。
今になって「家から追い出さなくても別の方法があったんじゃないか。」と私が言うと、
「お前が言うこと聞かないからじゃないか!他にどうしろって言うの?」
と言われてまた口論に……。
私は家から追い出されて、冷たいコンクリートに座りながら「本当の親は別にいて、こんなに怒ったりせずもっと大切にしてくれるはず」と思ったりして、そう思うことで何とか生き延びていた気がします。
人間ってホントめんどくさいな、と思います。
今週は会社でも先輩に怒られまくって、ひどく疲れてしまいました。
自分の言いたいことはちゃんと相手に伝わっているのでしょうか?
ただストレスが溜まって八つ当たりで怒っているだけなのか、相手が損することを心配して言っているのかーーーーー。
考えの違う人を受け入れる器を持っているでしょうか?
考えが違うから排除したり、敵意を向けることが本来取るべき態度なのかーーーー。
ということをあれこれ考えていました。
人と分かり合えないことはつらく、人を孤独にさせ、孤独が人に「居場所がない」と思わせているのかもしれません。