自由と責任のはざま
連休終わってしまいましたね。
休みは結局借りてきた本を読んだり、溜まった新聞を消化したり、ふとん干したりしてました。
連休は嬉しいのですが、休めば休むほど月曜の朝がかなり鬱々としますね。
毎日胃腸が辛くなる日々が帰ってきて、朝から「気持ち悪~」となりました。
寝てる間は何も考えなくて済むのがラク。
でも起きると「自分」が起動して、あらゆる現実が迫ってくるーーー。
この瞬間が一番辛かったりする。
大人になると、抱えている現実のデータがどんどん増えたり複雑になって、起動する時にエネルギーがいります。
パソコンとかもデータ容量が増えてくると、起動に時間がかかるみたいな感じに近いでしょうか。
小学校高学年の時に友人が、
「早く大人になりたい。」
と言っていたことがあります。
早く自立したかったのかもしれないですし、彼女は 子供が好きだったので、早く子供が欲しかったのかもしれません。
私は「ピーターパンなんちゃら」とか「モラトリアム」と言われるくらい、「大人になりたくない」と思ってました。
「大人になってよかった」と思える要素は何でしょうか。
飲酒やタバコが吸える(⬅私は吸わないですが)とか、稼いだお金が自由に使えるとか、とにかく「自由」をあげる方が多いかもしれません。
それと引き換えに「責任」もついて回ってくるのが常です。
私は年齢が30を過ぎた今でも、食玩とかガチャポンのようなものが好きですし、新幹線とか電車系のグッズとかが好きで、「どこの少年や。」と言われそうなやつなのです。
年を取るとそういうものって、何か「いい年して……」っていう目を気にしてしまいます。
年配の方で「少年ジャンプ」を読んでる方って、あまり見かけない気がしますね。
私は何となく「大人の方が不自由じゃん?」と思っておりました。
「大人」ならこうあるべき、みたいなものを求められてるからでしょうか。
でも、周りが思うような「べき」を24時間貫いているのも辛いですね。
誰しも時には、「自分がありのままにいられる状態」を生活の中に5分でもいいから取り入れないと詰まりますわな。