夢は夢のまま

教科書もマニュアルもない人生という学校で、共に学び、支え合い、卒業を目指すためのブログ。

心身は唯一無二の相棒

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前回の記事を書いた頃は、精神的にかなり落ちていたんだなと思います。
風邪も引いたり、仕事も忙しい状態が続いたから、体がかなりやばってたんではないかな。

体が弱ってくると気弱になるし、気弱になると体の調子もよろしくなくなる。
心身の状態は常に影響し合ってる感じがしますね。
「病は気から」ともいいますし。



そんな状態の時に兄が家に来て、「幸せ自慢」をされてしまったもんだから、余計にへこんでしまったのですよ。きっと。



ここ最近は仕事が忙しくて、帰ったらそこいらで寝てしまうことが多いのです。

最近ニュースで宅配業で働く方の長時間労働が問題になりましたが、やはり人手不足問題は今の日本では中心的な問題になってますね。


聞くところによると私が働いている部門は、以前はもう一人多い人数で回していたようですが、今後は増えることはなさそうです。

人員を増やしたくても、人件費をかけられる程の収益が確保出来ないという問題があるのかもしれないです。

まあ以前の職場の仕事量に比べれば、まだ頑張れる範囲なのかなと思って必死こいてます。



でもね。息抜きしないとダメね……。



兄の「幸せ自慢」はかなりツラいものがありましたが、「兄が感じる幸せ」と「私が感じる幸せ」は違うわけで、自分の生き方を改めて考える機会にはなったかなとは思います。



人生のうちに老若男女問わず、気が合う人が一人でもいて、お互いに生きていることで生じる楽しさや苦しさを分かち合えるのは素晴らしいことだと思います。

では、そういう人が誰もいないからいけない、とか、不幸か、と改めて考えてしまうと、どんどん自分を追い込んでいくだけなんだと思います。


そこでただ単純に、「今やりたいこと」を、「あれこれ考えずにやる」。
それくらいシンプルに考えればよいのかなと思えたのです。



あじさいの写真が撮りたいから撮りに行き、
ミスチルの『HANABI』が聴きたいからCDを借りに行く。



時間がなくても、体力がなくても、体力を補う気力に限界が来なければ引退しなくてもよいのですよ。



体を動かして行動すると、やはり心も引きずられてアクティブにならざるを得なくなる感じですね。


悩みの中にいるなら、取りあえず体を動かす活動を
することが大事だと思います。

文字通り「運動」でもよいし、「部屋の片付け」とか何でもよいのだけど、とにかく「やりたい度」が高いものがよいだろうね。


いつも楽しい状態ではいられないけど、心身は「唯一無二の相棒」として、上手く付き合っていくしかないですね。

一緒に生きるということ

昨日一人暮らしをしている兄が家に来ました。

今までそんなに頻繁に来る感じではなかったのに、先日家に来てからそんなにたたずにやって来ました。
どうやら話があるとのこと。



先日家に来た時に兄の友人達の結婚話があって、独身の兄を思って私はそれから、「兄が結婚するためにはどうしたらよいのか」と漠然と考えていました。(何やってんねん。)



「今の女性は何を求めているのだろう……。」



よく女性は男性に「経済力」を求め、男性は女性に「若さ」を求めるといいます。

それは老後の生活のこととか、将来子供を持つことを見据えてのことだと想像は出来るのですが……。

子供に関しては、なるべくリスクを少なくして子供を生みたいとか、子供にかかるお金なんてめちゃんこかかるから、少しでも収入が多い方がいいとか。



兄は高給取りでもないでしょうし、見た目も美男子というわけでもなく、身長も160cm台で決して高い方ではありませぬ。
「条件」だけで判断されてしまうと、厳しいなぁと思っておりました。



で、兄からの話というのは……。



「今付き合っている人。」
と、写真を見せられました。


「へ?」


「将来的には結婚したいと思ってる。」



正直驚く気持ちはありましたが、若干察しはついておりました。

兄の性格が最近穏やかになったと感じていたこと。
身なりに気を配るようになったこと。
先日夕食を一緒に食べたら、今までそんなことあまりしなかったのに、お皿を洗って帰ったこと。


それらの「変化」に、どこかで頭を打ってきたのかと驚きつつ(笑)、きっと「こういうこと」なんだろうなとは思っておりました。


まだ先はどうなるか分かりませんが、私は兄が幸せそうで安心しました。
母は幸せを願いつつも寂しそうな、複雑な心境だったのかと思います。




「で、お前はどうなの?」



と聞かれ、不意打ちを食らったような形になってしまいました。



「何かお前を見てると「修行僧」みたいだからさ。」



要するに、端から見ると「幸せそうではない」ということでした。

私にとって、「今幸せか?」と聞かれるのが一番堪えるのです。



兄には分からない。
母にも分からない。



父親だったら、少しは分かるかもしれない。

前の職場で上手くいかなかった時に、
「もしかして「普通」じゃないんじゃね?」
と感じたこと。

あまりにも周りの空気が読めなくて、要領が悪くて、人の気持ちを察することが出来ない……。

それから発達障害の本とか読み漁って、周りには分かってもらえなくても、そこに「生きづらさ」の原因を求めることが出来たこと。

父親とは12年ぐらいしか一緒にいなかったのに、思い出す記憶の随所に私と「同じもの」を感じてしまったのである。


よく自分が発達障害と分かった方の中には、「生きづらさの原因が分かって良かった」という方もおられるが、私はそう感じなくもなかったけど、
「もう「普通」では生きられない」
と自分を追い込む形になってしまった。

だから病院とかも一度は予約したのにやめてしまったことがある。
はっきりさせたい思いと、はっきりさせたくない思いが心の中でずっと葛藤している。


過去にいじめにあったことや、人間関係が上手くいかなかったことや、親に怒られまくって自尊心が見出だせなかったことなどが、自分の中で大きな塊のようなものになってしまっている。


こんな負の感情に支配されたまま生きる人生を終わりにしたいのに、これから先も新しく人と出会ってはトラブルを巻き起こしていくのだと思っただけで絶望的になってしまう。



母とは何度も言い争いが絶えないので、自分は障害かもしれないと話したことがあって、最近では関連の番組とかも一緒に見たりして、少しは分かろうとしてくれている部分を感じたりはしている。

でも……。


こんな面倒くさい状態の自分を支えて生きていくのこそ面倒くさくて、自分のことだけで精一杯になって周りに対して何も出来ないことの罪悪感を感じるのです。


誰かと一緒にいること、誰かと一緒に生きることとは「その人が背負っているものを一緒に背負うこと」。


私はきっと自分のことで精一杯。
それどころか相手に負担をかけすぎて倒してしまうかもしれない。



それでも私が兄の幸せを願うように、兄も私の幸せを願っていて、それを諭すように言われてしまった。

私のことは放っておいて欲しい。
兄が幸せならそれでいいから。


でも兄も母も、私が叔母のように自己破壊的に生きて死んでいくのを許してくれなかった。

それは「家族」だから。




結婚の条件うんぬんと世間では言われてますが、相手の背負ってきたバックグラウンドを背負えるようになったら、「その時」がくるのかもしれません。


私は今生きていることだけで精一杯になっておりますが、自分と同じような症状で苦しんでいる方の理解が深まり、支えていけるように強くならねばなりませんね。

叔母の死が教えてくれたこと

毎年6月の今ぐらいになると、亡くなった叔母のことを思い出す。


私の母の妹である叔母は、2011年の6月にくも膜下出血で倒れて、そのまま帰らぬ人となった。

私が最後に会ったのはそれから3年前ぐらいの祖父の葬儀の時だった。



久しぶりに葬儀で会った時、叔母がかなり疲れきってやつれていた様子だった。
私が記憶していた叔母はかわいらしい雰囲気の人だったので、あまりにも変わりすぎた姿に驚いてしまった。

母から叔母が生活のために仕事を2つかけ持ちしてると聞いていたので、相当詰まった生活をしてるのだなと思った。



叔母という人は母がいうには、昔から気が強くて譲らなくて、かなり見栄っ張りなところがあったらしい。
その頑固なところが私に似ていると言い、顔以外の体形も私に似ているという。

昔は似てると言われても、「え~?」とか、「ふ~ん」ぐらいにしか思っていなかった。
でも亡くなる直前から亡くなった今まで、ふとした瞬間に叔母のことが頭によぎるのだ。


「私と似てるな」




亡くなってもう6年たつのか。
それが早いのか遅いのか分からない。



叔母が倒れたと連絡してきたのは旦那さんだった。

私はやっと仕事が終わった金曜の夜で、くたびれて爆睡していた。
深夜3時頃、家に電話があった。
疲れすぎて起きられなくて、後から留守電を聞いたら一気に血の気が引いた。



私の母と叔母は、些細なすれ違いで疎遠になっていた。

事情がどうであろうと、こちらから歩み寄って、生きているうちに会っておくべきだと母には常々言っていた。


病院に駆けつけると、叔母は集中治療室で管に繋がれていた。
こんな形で再会することになるとは夢にも思っていなかった。


そこで叔母の回復は絶望的で、あとはいつ死ぬかを待つだけだと知らされた。
よく医療もののドラマでみる心電図が、上がったり下がったりして、いつ「その時」がくるのか落ち着かなくて、生きた心地がしなかった。



とりあえずその日は待合室で待つことになった。

久しぶりに会う旦那さんは相変わらず気さくな方だったけど、白髪も増えてかなり年をとったなという印象だった。


でもそれ以上に驚いたのは……。

旦那さんと、私のいとこである娘、息子との間に会話らしい会話がなかったのである。
どこか他人のようでよそよそしく、昔の私の家を彷彿させるものがあった。


私が小学生の頃、旦那さんが車を運転して、いとこ達と海に行ったり、川でバーベキューをしたのを覚えている。
私の父親はそういうタイプではなかったので、こういう父親だったらよかったのにと思っていた。



家庭崩壊している私にとって、叔母の家庭は当時の私の理想でもあって、その状態がずっと続いていると信じている部分があったのに。

それなのに「これ」か……。



夜も9時ぐらいになったので、その日は帰ることになった。
何かあったときはすぐに連絡をくれるように伝えて。


その翌日いとこから連絡がきた。

「母が亡くなりました。」



持って一週間と言われていたのに、あまりにもあっけなすぎた。

母は短い時間で失われた時間を取り戻そうとしている感じだった。
でもこうなってしまった以上、何もかもが手遅れだった。



葬儀は3日後に行われた。

私は幼い頃に誰かの葬儀(母いわく私の父親父親)に出席して遺骨を挟んだ記憶があるが、自分の意識があるうちでまともに「死」と向き合ったのがこの時が初めてだった。

少し前まで元気にしていた人間が倒れて、一週間足らずでこんな骨の塊になってしまうことが、現実としてなかなか受け入れられなかった。



こうなる前に何か出来たのではないか。



叔母の死を思う度にいつもこう思ってしまう。

「いつ死んでもいい」
と言っていた叔母が、文字通りあっけなくあの世に逝ってしまったのである。


似ているからこそよく分かるのである。

私の祖母は母がいうには、仕事ばかりしていて、子育てにウエイトを置いている人ではなかったらしい。
何かを聞いても「分からない」で済まされ、進路で悩んでも娘のために何とかしてやろうとするタイプではなかったらしい。


結果私の母はめっちゃ寂しがりに育ち、母の妹は家に寄り付かない自己犠牲の強い人に育ったと思う。



幼少期に「親に愛されてない」と思って育つと、その後にどんな経験をしても取り返しがつかないのである。


私は幼少期に、要領悪いは頑固だはでよく家の外に放り出されていた。

今は年をとって親の状況を理解する部分はあるけど、「自分は必要とされてない」感はずっと消えない。



叔母の家を見ていて、「何のために家族一緒にいたのだろう」と思ってしまう。


あんなやつれた叔母を見ていたならば、周りにいる家族に出来ることはもっとあったのではないか。

叔母も「人には頼れない」、「私が何とかしなければ」という自己犠牲的なところがこういう結果を招いたのではないか。


自分がしてもらってこなかった分、子供達に苦労させたくないと思う気持ちは痛いほど分かるが、もう少し回りに「助けて」と言えればよかったのに。



死ぬ人は生きる人に何かを教えていると聞く。


私は、自分の至らない性格を携えて何年も生きるのが辛いし、30年も生きれば上等だと思っていた部分はある。

自分が死んでも誰も困らないし、何も変わらない。
生きていても死んでいても誰も気にしちゃいない。

自分が死んだ後のことなんてどうでもいい。


それは今でも変わらない。
だけど……。



叔母が倒れたとき、叔母の姉が、母が、娘が、息子が、傍らですがって泣いていた。
自分が叔母に似ているから、自己破壊的に生きて自分が死んだらきっとこうなるのかもしれないと思った。


自分の死を叔母の死に見たような気がしたのである。



まだ生きて、やれることはあるはずだ。


人生に挫折した時や辛いときはこの時のことをよく思い出す。

生きてると辛いことの方が多かったりするし、特に不器用な人は毎日生きづらい思いをしているのではないかと思う。
そういう人がいるということを心の支えにし、自分もそういう誰かの支えになれるよう頑張らねばと思う。

30代独身の私の幸せについて本気出して考えてみた

先日、一人暮らしをしている兄が家に来ました。


兄は私より2つ年上で同じく30代前半ですが、現在独身です。
兄の友人は結婚してる方が多いらしく、話題はどうしても家族の話になるらしいです。


妹の私としても、兄には結婚して欲しいと思っています。
育った家が崩壊していたワケなので、いい人を見つけて精神的に安らげる生活が送れればよいなと。



私が今働いている会社は、わりと結婚している方が
多いです。
今日もある社員の方にお子さんが生まれたそうで、「名前が何だ」話で盛り上がっておりました。


私が会社に入社した頃に、育休から復帰された方がお子さんを抱いて会社にいらしたことがありました。
私は人として欠陥だらけなので、「私には一生縁のないことだなぁ……」と常々思っているのに、急に目元が潤んでしまいました。

最近涙腺が壊れてるんですよ。きっと。



今日会社から帰ったら、私の母がスーパーで買い物してたら私の小中の同級生のお母さんに(10何年ぶりぐらい?)に会ったと聞きました。

母からその同級生の男の子が結婚したと聞きました。
あと昔私の近所に住んでて遊んだことのある女の子も結婚したと聞きました。



やっぱり30も過ぎるとそういう話ばかり耳にするようになるんですね……。
メディアでは若年層の未婚率が上がってうんぬんと聞くのに、「どこがやねん」と言いたくなります。



30代ともなると、人生の方向性をある程度固めなくてはなりません。

必ずしも結婚しなくてはいけないわけではないですし、仕事や趣味の活動などに生き甲斐を見いだしている方もたくさんおられるかと思います。


それなのに独身でいると、自分が「普通」のことも出来ない、欠陥のある人間に思えてくるから悲しいもんです。

中島みゆきさんの『誕生』ではないけど、強気で生きてると些細な寂しさにつまずく時もあるのだなと。


人生多くのものを手にしても、そうでなくても、あの世には何も持っていけないのだから、自分は他の人より何も手にしてないことを嘆いていても仕方がないのですよね。


自分にとって何が幸福かを見失わないよう、何かを手にすることよりも、何かを与えられる人生を目指していこうと思います。

映画『ちょっと今から仕事やめてくる』の感想

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現在公開中の『ちょっと今から仕事やめてくる』という映画を見てきました。

映画館の人からしたら、「この映画見に来る人は仕事辞めたいんかな~」と思われてそうですね。(^_^;)



ずっと原作の方が話題になっていて気にはなっていましたが、読む前に映画の方が公開されたので見てしまいました。

というわけで原作の方は知らないので、映画の方を見た感想を載せておきます。
(まだ見てなくてネタバレは困る方は、見た後に読んでいただければ幸いです。)




率直な感想は、

「よかった。」


です。
(おいっ!)
(……ってこのパターン前もやったような……。)



最初は主人公青山が働く会社について分かるようなシーンから始まりますが、見てたら自然と涙ぼろぼろになってましたね。


就職活動が上手くいかなくて、やっと一社内定をもらって、「ここで頑張るんだ」と奮起して働き始めたものの、想像してなかった現実にことごとく希望を奪われていくという……。

企業体質が違法ではないかと思える部分があったり、結果が出なければボロクソに言われるは、残業三昧で私生活が乱れるはで生きることに疑問ばかり持ってしまう日々。



「私と一緒だ……」


と、頭で考えるよりも先に体が反応しているようで、涙が終始あふれていました。
正直もっと平静で見られると思っていたのに……。


青山の働く会社の「ブラック企業」感はやや誇張されている感じがありましたが、どうしても私が今まで働いたことのある会社とかぶる部分がありました。




今月6月から新卒の方の採用活動が本格的になるそうですね。
就職市場は「売り手」だと言われていて、大企業は相変わらず人気だとニュースで見ました。

私が大学を卒業した2008年も、リーマンショックが起きるまでは「売り手」と言われてました。
ちっとも内定をもらえなかった私にしてみれば、「でもそんなの関係ねぇ!」
の世界でしたよ。



求人数はあっても、企業が「ある程度仕上がった」学生を積極的に採用していくので、内定をいくつももらえる人とそうでない人の差が出てきたりします。



私の考えでは就職氷河期の時に採用を抑えた関係で、企業内の技術が継承されにくく、若手にいきなり高度な仕事をさせているのではないかと思うのです。

それに加えて産業構造の変化で、生き残る業界、会社というのが読めない状況で、雇う側も雇われる側も不安定な状況にあるのではないかとも思います。



こういう状況下では、働く方の仕事のミスマッチが起きやすいですし、職業キャリアが積めなかった方が就職市場から閉め出されやすくなるのではと私は危惧しております。




映画で主人公青山の自殺を阻止しようとしたヤマモトは双子の設定でした。
一方がブラック企業で働いた末に自殺をし、もう一方がバヌアツで教師をする道を選びました。

これは同じ人物が環境によって色んな生き方も可能だということの示唆なのかもしれません。




生き方を選ぶ基準は人それぞれかと思います。


私も他の多くの方が思っているように、好きなことで生計を立てられたらどんなにいいかと思います。

しかし自分が好きな道で身を立てるには、相当の資金、時間、努力が必要です。



私の場合は、仕事は生活のためと割りきって、その他の時間で好きなことをすればいいかと思ってます。
それなのに、新卒で入った会社の社訓みたいなものに、
「仕事に生き甲斐を見出だしましょう」
とありました。


合うはずがありません。



これから働く方も、今生きることに悩んでいる方も、他人が思うような「ネームバリュー」とか「安定的」とかいうキーワードにとらわれる前に、自分に合った生き方を選択して欲しいと思います。

人生を苦病まないために

フジモトマサルさんの『二週間の休暇』という本を図書館で借りてきて読んだ。


元々フジモトさんの作品は気に入っていた。
万人が入りやすそうな絵柄から入っていくと、そこには独特な世界観が広がっていて、そこが現実なのか作り物なのか分からなくなる感じがある。


この作品の読み始めも、一見ある女性の「日常の」ワンシーンと思いきや、仕事で残業している女性の「何もかも忘れて休みたい」願望を叶えた形の「異世界での」体験の話になっている。



何気なく借りた本だけど、読んだ後は「自分も無理してるんだろうな」と思った。


つい最近会社で自分の欠点をかなり指摘されて、それは「社会人」として生きていくためには必要なことだと理解はしているし、自分を客観的に見る機会にはなったと思う。


ただ、自分の中の自信とか、生きる希望というのが失われてしまっていると改めて感じた。



私が仕事をするのは生活のためである。

前職が精神的にも肉体的にも限界なところがあったので、本当は次に働くまでに少し休みたいという気持ちがかなりあった。


だけど休んでいられるほど蓄えはないし、親は病院に通院していてお金がかかるため、私が休んでいる場合でないと思った。

「生活していくため」と自分に言い聞かせて、誤魔化しながら生きていると思う。
頭では理解していても、本心のところでは常にやりきれない感じを抱えている。


最近は仕事から帰ってきたら、疲れきって無意識に寝てしまう。
私は昔から現実で嫌なことがあるとすぐに眠気が来て寝てしまうので、ある意味で異世界への逃亡と言えるかもしれない。



仕事以外にやりたいことは山ほどある。

やりたいことをして生きている人の方が、人生での充実感も違うし、色々な意味で健康的にいられる気がする。


最近では、好きなものにですらやる気が湧かないという状態が何年も続いている。
もし『ドラゴンボール』の「精神と時の部屋」があったら、そこに入って漫画描いたり、本を読みまくりたいと何度も思ったことか。
そうしたら少しは元気になる気がする。



ネットでフジモトさんの作品を検索してたら、彼が二年前に病気でお亡くなりになっていたと知った。
ショックだった。



人の人生なんて、長いようで短い。

やりたいことを後回しにしていると、突然自分が死ぬことになったら、動かなくなった体で絶対後悔すると思う。
私の身内には若くして亡くなった人がいるので、細々と長生きするより、自分が思ってることを一つでも叶えてから死にたいと思う。


どうしたら後悔しない人生を送れるかは分からない。
自分の気持ちに正直に向き合うと、仕事に行くのが余計に辛くなってしまう。


だけど「自分」から逃げてはいけないと思う。

私は一つのことに頭が一杯になると他のことが考えられなくなるけど、自分を生きるのは自分しかいないし、何が一番自分を「生かす」のかも知っているはずだ。


今私のように生きることに迷って辛い思いをしている人には、自分ととことん向き合い、少しでも希望を持って生きていって欲しいと思う。

腹を割って話すことの大切さ

母がメロンを買ってきてくれたのをぱっこり切って食べました。

母いわく買う時かなり固かったらしいので、しばらく寝かせてから食べようか悩み、結局食い気に負けて(笑)食べることにしました。

実際切ってみて、中身が意外と熟していて驚きました。


外からは分からないもの、開けてみないと分からないものってあるのではないかと思います。




先週職場で自分の至らないところを先輩からかなり言われて、仕事に行くのも、生きるのすらも辛いと思っておりました。

その後先輩が話す時間を取ってくださり、自分の欠点を客観的に見るとどう見えるのかについて聞いたり、お互いの思っていることなどを話し合いました。



私は不器用で一つのことで頭が一杯になると他のことが考えられなかったり、人の状況を察するのが苦手で、そういう性格がこれまでのあらゆる場面で影響を及ぼしたりしていました。


そういう姿は端からみれば「自分勝手」に映るようで、大抵の人は敢えて指摘することもなく関わりを避けるか、その態度に対して怒りをあらわにしたりします。


私の方は「何か気に障ることをしたんだろうな」と思っても、原因が分からないので、毎回自分を全否定してやり過ごしてきました。



私は自分の欠点を自覚していて、なぜそういう状況になったかを自分で語れる範囲で先輩に伝えました。
先輩からの指示も、主語が不明だったり抽象的なものは理解しづらいと話しました。


先輩に「正直こんな仕事出来ないと思わなかった」と思われても、正直に思っていることや困難な状況を伝えて、この仕事が無理ならはっきりさせるべきだと思いました。



先輩と仕事終わりに何時間か話して、先輩がこちらがどうやったら上手く仕事をやっていけるか考えようとしてくれているのが分かりました。

私は研究をしたり、ひたすら何かを作るようないわゆる「個人プレー」を得意としているところがありますが、それでも会社という「チームプレイ」で働く環境ならば、自分の価値観だけではやっていけないのだと改めて感じました。



先輩は私と仲良く、というか良好な関係で仕事を続けていきたいと考えていらしてて、言わなければいけないことは厳しくても言うべきと思っていらしたので、私も先輩からの歩み寄りに応じるべきだと思いました。



人間関係が上手くいかなくなる時とは、大抵お互いの認識のズレとか、相手に言いたいことが充分伝わっていないことによる行き違いがあるかと思います。

私は比較的曖昧な表現とかの理解が弱かったり、伝えるべきことをあまり表に出していない(自分では出してるつもり……)ようなので、より問題を抱えやすいのかと思います。



また気づかないところで何かやらかすのではないかと気が気ではありませんが、何とか生きております。


人間は複雑で、面倒で、嫌になることの方が多いです。
本心をぶつけ合えば、関係が悪化して取り返しがつかない仲になることなんて日常茶飯事ですが、相手を理解しようとして誠実に接する姿勢は保っていかねばと思っております。