夢は夢のまま

教科書もマニュアルもない人生という学校で、共に学び、支え合い、卒業を目指すためのブログ。

ブログとは一体何なのだろう

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私がブログをやり始めて半年がたちました。

「あっ、もう半年?」
というより、
「まだ半年なんだ……。」
という感じです。



私はこのブログを始めるまで、他のSNSやらをやっておらず、mixiぐらいしかやったことがありませんでした。
そのmixiですら、大学の友人に誘われたからであって、自発的に「何かを発信しよう!」という動機ではありませんでした。


携帯をスマートフォンに変えたのがちょうど1年前ぐらいだったので、それから他の方のブログを読んだりし始めました。

スマートフォンにかじりついて検索ばっかりしまくっていたのは、完璧に仕事とか人生が上手くいっていなかったからだと思います。
本当にいつ死んでもおかしくない状況で、「私以外にも人生苦しんでいる人がいる」と知ることで、踏みとどまってまた一日を生き延びることが出来ておりました。



人間誰しも孤独なモンで、それを埋めるために行動したりして、何らかの充足感を得ようとします。

私の以前いた職場の同僚に私と似たような内向的な方がいて、その方がブログで知り合った方と会った話をしてらっしゃいました。
その話を聞いて、私は「会う」までは出来なくても、ブログを始めてみたら色々な交流が生まれて、自分の性格を変えるきっかけにはなるのではないかーという印象を持ちました。

何について書けばよいのか分からぬまま、とりあえず始めてみることしました。




実際ブログを始めてみて、学ぶことはありました。

ブログを始めたら自分の性格が変わるか、
というと答えは「変わらん」です。

現実の世界で内向的な私はネット上でも変わらず、孤独感が埋まるどころかますます孤独な感じになってきて、始めた当初はガチで落ち込んでました。

最近は以前より落ち込まなくなりました。
慣れですよ。多分。





ブログとは一体何なのだろう。


なんてこと考えながらブログを書いてるのは私ぐらいでしょうね。

自分の崩壊した家のこととか、自分の直らない性格の話を現実で付き合いのあった人に話したことなんてないに等しいですよ。

なぜかというとそういう話をしたら「場の空気を変えてしまうかも」とか、「距離をおかれるかも」と思うからだと思います。


でも人生に必要なのは、そういうことを話せる人が一人でもいることです。
人に言えないことは人に言えないが故に苦しく、人生の逃げ道を塞いでしまったりします。



ブログを書くことで自分自身が変わっていたとしても、本人が気づいていないだけなのかもしれません。
長くブログを続けてる方は自分が初期に書いた記事を読み返すと、変化を感じられるかもしれないですね。


私はブログを通じて変わるのは書いた本人だけではなくて、それを読んだ方の方だと思います。
当たり前と言えばそうなのですが。

紹介してくれた本について調べたり、起きている社会状況について関心を持ったりして、読んだ自分の行動が導かれたりしてるなぁーと感じることがあるからです。


「ブログとは一体何か。」の答えは一通りではないものです。

私のように何も売りがない平平平凡な人間がブログを書いても面白くないと思います。
「人のため」と称しつつ、結局「自分が認められたい」がために書いているのかもしれません。

ただ書いている内容は一つ一つ自分の心に向き合って書いているつもりです。

しょーもない私のブログは世のため人のためならずして情報の洪水に消えていく遭難船ですが、これまで読んでくださった方の力に少しでもなれてたらブログをやってみてよかったと思います。


文章能力とかレイアウトはからっきしダメなので、ブログ書くには向いていないんでしょうね……。

駄目な自分の受け皿

仕事をしていると自分の欠点が浮き彫りになり、ひどい自己嫌悪に悩まされます。


前職ではその欠点をかなり責められ、同僚から無視をされていて、自分の中の「人間不信」みたいのが強くなり、どんどん自信もなくなり、生きる気力も相当奪われていました。



少し前に読んだ本で、
「自分の駄目なところを受け入れてくれる人がいることで人は自立出来る」
といったようなことが書かれておりました。


親の中には、子供のやることが自分の価値観と合わないと「あれは駄目」「それは駄目」といって、なぜそうしたのかも考えない人もおります。
結果子供の自信を奪い、自立を妨げることにもなります。


自分の価値観を否定され続けると自分に自信が持てなくなり、人の指示がないと動けなかったり、一つの価値観に縛られて何かに依存しやすくなると思います。



自分を否定されて育った人と、そうでない人の「生きる力の強さ」の差は歴然としてます。


でも幼い頃の生育環境が恵まれなくても、その後に出会う人に恵まれればいくらでも挽回は可能です。

ただ問題なのは、自信がない人は人と上手く繋がれないので、色々な人と出会う機会がなく、変わるきっかけがないところです。



私の父親は学業に支障が出るからと、親(私の祖母)に反対されて学生時代に野球をさせてもらえなかったと、母から聞いたことがあります。

家庭内暴力で家庭崩壊を招いた張本人なので、一生許せることはないと思いますが、社交的でなく、器用でない性格が父親譲りの私は(嫌だー!)、必然的に考えてしまうことが多いです。

皆に愛されなくたって結婚出来たんだから、自分の家族ぐらい大切にしてくれよ!と言いたくなります。もう会わんだろうけど。


私は心の中に大穴が空いたまま生きてるような状態ですが、父親のようにギャンブルとかお酒で埋めないよう、生きている間は色々探して試してみるつもりです。


仕事は失敗続きで呆れられているところはありますが、一生懸命教えてくれようとして下さってるので、やれるところまで頑張れればよいなと思っております。

去り行くものとの思い出

近所にあったお寿司のチェーン店が2月末で閉店してしまいました。

閉められたシャッターには貼り紙がしてあって、「37年のご愛顧ありがとうございました」と書かれておりました。
じ~んとくるものがありますね。



お寿司は今ではスーパーのお惣菜コーナーとかでも買えるようになりました。
人の味の好みやライフスタイルの多様化とか、外食産業は結構生き残りが大変な気がします。


自分の意識の中に存在していたものが急にいなくなると、自分の一部が欠けたような気分になります。



今まで閉店してショックだったお店を思い出してみました。

昔池袋に「キンカ堂」という布地屋さんがありました。
私自身は裁縫とかあまりしないのですが、私が小さい頃は母親が私のワンピースとか、学校用の手提げ袋とか色々作ってくれていたのでよく一緒にくっついて行ってました。

私が小さい頃はジェラート屋さんが中にあって、よくアイスを買ってもらってました。

閉店を知った時は「時代の流れ」みたいなものを感じて寂しくなりましたね。



つい先日映画の『この世界の片隅に』を見に行こうと思って「どこに行こうかな」と検索していた時、お台場の映画館が2月末で閉館すると知ったので、ちょっと遠いですがそこに行きました。

何となく最後の瞬間に立ち会ったような感じにもなりますし、後から「もうないんだよな」と思い返すのも感慨深いですからね。


私は昔から「北海道行きたい熱」(なんじゃそりゃ)があって、ずっと「北斗星」に乗りたかったんです。
一度も乗れなかったことが一生心残りです。


同じ時代に生きているからこの目で見たり、触れられるものがあります。
後悔しないよう、気になってるものとの思い出を増やしていきたいですね。

夢を叶える力

つい先日新聞で、81歳の女性がスマートフォン用のアプリを作ったという記事が載っておりました。

この記事を読んで、私の中の「高齢の方は電子機器に弱い」という勝手なイメージが覆ったと共に、「興味を持ったことを始めるには年齢なんて関係あらへん」と改めて思わされました。



私は20代半ばぐらいに、働きながら週一で漫画の専門学校に通っておりました。
私が受講していたコースは社会人の方が多く、私のように働きながら通っている方がほとんどでした。


が。

私よりみんな年齢が若い方ばかりでした。
一番若い方で、私より10歳ぐらい若い高校生もいらっしゃいました。

正直「自分がこの歳で……。」みたいな引け目があって、若い人が心底羨ましいとも思いました。



漫画を描くのはスポーツみたいに基礎(画力など)練習が必要で、体力もいります。

私は会社から帰って、足りない時間で決められた課題のページ数のストーリーを作らないといけなく、かなり寝不足状態でした。

それでも好きでやってることだから、苦しさはあってもそれを受け入れられるんですね。


本当スポーツと一緒で、実践を何度も重ねてコツを掴んでいくところがあります。

20代だったからあの状況でも体力が持ってたんだなと思います。



今となってはあくせく働かず、のんびり生きたいなと正直思っております。
でも奨学金を返したりしないといけないので、しばらくは忙しく生きてかないとですね。


絵を描くのは年齢に関係なく生きている限り出来ますし、プロでなければ締め切りもないですからね。
好きなことは余暇にやればよかと自分に言い聞かせてます。




サッカーの三浦知良選手、50歳でプロを続けてらっしゃいますね。
私の年齢分ぐらいだと考えると本当尊敬します。

本当にサッカーが好きだから続けられたのと、ど素人の私はワールドカップに思い残すところがあって続けられたのかなと勝手に思ってしまいます。

人とのつながり方が分からない

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平日の朝に、会社の最寄り駅前を眠気に負けたしょぼい顔で歩いていると、手をつないで出勤している
男女を見かけます。
大人だけでなく学生もです。


私は通勤・通学というと、これから戦場に赴くような気分になるのですが、手をつないでいる人達はまるでエデンから通勤・通学しているのかというぐらい楽しそうに見えます。




街で、お店で、電車でーーー。
至るところで「誰か」と一緒にいる人を見ると、彼、彼女達は「何で」繋がっているのだろうと想像してしまいます。



ネットが普及して、従来とは違った出会い方が増えました。

それまでは「同じ地域に住んでいる」とか、「同じ学校に通っている」とか同じ場所にいることが共通項となって人と親しくなるケースが想像できます。
なので違う趣味を持ったクラスメートとも親しくなることも不思議ではありません。


今はそういった場所的な繋がりに加えて、ウェブ上で似たような趣味・嗜好や考え方で繋がる機会が増えました。


私は以前友人に自分の好きな歌手の話をしたら、
「私は(その人)好きじゃない」
と言われたことがあって、それから趣味の話を友人にあまりしなくなりました。

何だろう。
自分の好きな人を否定されると、
「私は(あなたのことが)好きじゃない」
と言われている気分になるのは…………。


身近な人に対する欲求不満?みたいなものを解消するために、ツイッターとかのソーシャルメディア
役立ってるんですね。



となると、「誰とも共通項を見いだせない人」は孤立するしかないのでしょうか。

私は人と親しくなる方法がこの歳になってもよう分からんのです。
人見知りではありますが、話すこと自体は嫌いではないので抵抗はそれほどないです。

ただ、「その次に繋がる何か」が分からんのです。
「学校」で親しくなった友人も卒業してしまえば終わりです。


人は一人でもお金があれば何とかなる部分はあります。
生まれも育ちも違う人同士が分かり合うのもそう簡単ではないし、皆が違うからこそ衝突したり、気を使ったりして「人付き合いめんどくせー」となるのもよう分かります。


ただ苦手とか不得意であっても、人と衝突することで自分が見えてきたりすることがあります。
人でもよいし、世に起きている事件のニュースでもよいのですが、「何か」に自分を映してみることで「自分ってこういうヤツなんだぜ。」と見えてくる気がします。



私にはウェブ上で熱く語れるような趣味とかがありません。
漫画については少し分かってても、もっと詳しい人は一杯おられます。



ブログを始めて半年ぐらいになりました。
やってみて初めて駅前で歌ってる路上ミュージシャンの気持ちが分かりました。

自己満足のためなのか、いつか想いが届く誰かを期待して歌ってるのか。


自分が「何をもって」人と繋がれるのか分からないから、こうして思ってることをブログという形で出してみるという今に至っております。

型通りにいかない生き方

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まだ先はどうなるか分かりませんが、今週から働き始めました。
正直しんどいです。


私の特性として、
「一つの事に集中すると周りが見えない」
「周りの空気を読むのが苦手」
「抽象的な物事を理解するのが難しい」
などのものがあります。



昔から
「自分は何でこんなに生きづらいのだろう……」
とずっと思ってきました。


大学時代に心理学系の本を読んで納得する部分が結構ありましたが、「もしかしてそれだけではないぞ」と思い始めたのは、前の仕事をするようになってからです。



仕事自体がかなり忙しい職場であり、そういう職場では「臨機応変」に「要領よく」こなせないと、仕事がどんどん溜まっていきます。

他の人に比べると処理の遅い私は、同僚から「他の人が出来るのになぜあなたは出来ないの?」と言われ続けました。


「理由があるなら私だって知りたいよ! 」
と何度も心の中で叫び続けてました。



色々情報を漁っているうちに、そういう障害を抱えて苦しんでいる人が結構いると知りました。

今までそういう人達は、ただ「仕事が出来ない人」と見なされるだけで、原因とかについて考えられる機会があまりありませんでした。




以前よりそういう障害があるということは世に知られるようになりましたが、対策の方は遅れを取っているとしか言えません。


「そういう特性がある」として、いざ働こうとすると「コミュニケーション能力」だの「気配り」だのが求められます。
相手のニーズに応えてお金をもらうことが商売である以上、上にあげた能力がなければ働くのが圧倒的に不利になります。


自分に向いている仕事は、「集中してひたすら出来る仕事」とか「知識を専門にしている資格系仕事」だろうとは思っておりますが、なるのが困難だったり、労働条件が良くなかったり、求人自体が少なかったりします。



人間は誰一人として同じ人はおりませぬ。

けれど人として「こうあるべき」みたいな暗黙のイメージが存在していて、そこから外れてしまうと人から敵対的な態度を取られかねないのです。



皆が皆好き勝手にやり始めたら、まとまるものもまとまらなくなるので、最低限のルールは必要です。

ただ、一人一人を「一つの型」にはめ込んで考えるだけでは、個々の独自性によって生み出されたかもしれない何かを潰すことにもなりかねないと思います。



私自身がこんな感じなので、同じような人とかの話を聞くと大いに共感して、その方達が周りの環境に恵まれることを願ったりします。


現状として仕事は続けていけるか不安……。
この仕事が適しているとも思えないです。

ただ自立の一歩として、出来ることを少しずつ増やしていくしかないと思っております。
他の人より失敗の量がハンパないですが、不器用は不器用なりにやっていくしかないです。

少しでも収入があれば、これからの生き方を考える余裕が少し出来るかなと信じるしかないです。


失敗しても何度でもやり直せる、そういう人達に寛容な世の中になってほしいと思います。

戦争とは言葉にならないことばかり

先日、雪だかみぞれだか雨だか分からん天気の中、無謀にも映画『この世界の片隅に』を見てきました。

 

私は原作者のこうの史代さんの作品が好きで原作も前に読んだことがあり、映画も気にはなっておりましたがなかなか忙しくて行けておりませんでした。

 

 

感想は、というと、

 

「よかったです。」

(おいっ!(^_^;))

 

 

 

私は小学生の時『火垂るの墓』とか、戦争ものの本をよく読んでいて、広島と長崎は生きている間に絶対行っておきたいと思っておりました。

 

長崎は高校の修学旅行で行ったのですが、広島はなかなか行けず仕舞いで、今から5年前にやっと行って来ました。

原爆ドーム原爆資料館呉の大和ミュージアムにも行きました。

 

 

資料館では被爆した方の写真や遺留品、戦地へ赴いた20歳前後の青年が家族宛に書いた手紙などを見ました。

生きている間に彼(彼女)はどんな生活を送っていたのだろうかと想像したりして、自分の中には言葉では言い表せない何かが胸に残りました。

 

 

今回見た映画は、当時の広島の人々の暮らしを動画で見ているかというぐらいリアリティが感じられて、あの時私が資料館で見た「戦争の断片」とが私の中で繋がったように感じました。

 

一瞬にして非日常になった世界の前には、今の私達と同じような日常の暮らしがあったということ。

 

 

 

主人公すずは要領がよくなく、ぽけ~っとしてるところがまるで自分を見ているような気がして、余計に感情移入してしまいました。(苦笑)

 

 

当時の女性は年頃になると見合いをして嫁ぐのですが、「昔は一度嫁いだら自分の実家にはなかなか帰れないのだな」とせつなく見ておりました。

 

すずは嫁に行って新たな家庭での暮らしに奮闘しておりますが、頭がハゲてしまうくらいストレス溜めてましたね。(^_^;)

 

当時に限らず、結婚して相手の家族と暮らしてる方は、独身の私からしたらホントに尊敬します。

 

私の母も父親の実家に帰るといつも辛い思いをしていた記憶があります。

父親には姉がいて(伯母)、父親の母(祖母)と私の母に対して悪口のようなものを言っていました。

子供ながら母のことを悪く言われてるなんて嫌だなと思っていて、何だかその時の記憶が蘇って、泣けてしまいましたよ。

 

 

 

映画の中ではすずに最初は辛く当たっていた義理のお姉さんも、一緒に暮らすうちにお互いのことが理解できるようになって、すずは段々と家族の一員になっていきました。

 

「こうして家族ってなっていくんだ」

 

と思わされたりして、映画は戦争を主題に描いておりますが、私としては人生物語としての側面も深く残りました。

 

 

戦時中は父親、兄弟、夫が次々に戦地へ駆り出されて、女性は常に大切な人の死を覚悟して、受け入れていくしかなかった時代です。

 

「私だったら愛する人を戦地に送ることに耐えられるだろうか

と何度も思いました。

 

男性に生まれたら家族と共に年老いていく人生ではなく、死と破壊の世界であっけなく死んでいくことを喜ばなければいけない時代なんて、二度と来てはいけないと思いました。

 

 

 

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原爆ドーム相生橋

 夏の終わりのいい天気の日でした。