夢は夢のまま

教科書もマニュアルもない人生という学校で、共に学び、支え合い、卒業を目指すためのブログ。

自分の至らなさを受け入れる強さ

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連休明けで多忙な一週間だった。


朝起きると、スマートフォンに身に覚えのないサイトの履歴が残っていたりして、一瞬「遠隔操作」を疑ったりもしたが、自分が無意識に触っていただけだと思った。



昨日は仕事の忙しさが今までで一番だった気がした。

朝も少しずつ早めに出社するようになったが、以前の職場みたいに朝、昼、晩と仕事をするような生活には二度と戻りたくないと思った。



最近読んでる本の内容が、
「一見普通に見える人がなぜ逸脱した行動にでるのか」
みたいな内容で、その中の「完璧主義の人が陥りやすい状態」についての言及がまさに自分のことかと思った。



どうやって自分が完璧主義的になったか考えてみた。

例えば、私が親から買い物と洗濯と風呂掃除を頼まれたとする。
買い物と洗濯はしたけど、風呂掃除はまだだった。

単に忘れただけかもしれないし、お腹が急に痛くなって出来なかったのかもしれない。


親には買い物と洗濯はしたけど、風呂掃除はしてないと話す。


そしたら返ってきた言葉は、
「何でやってないの?遊んでたの?」


買い物と洗濯をしたことは全く評価されない。
出来なかったことだけ責められる。


そうするともっと認められたくて、今度は頼まれていないゴミ出しやら夕飯の支度やら、「やり残し」がないように徹底的にやらないと気が済まなくなる。



完璧主義になりやすい人は、誰かに認められる経験がなかったり、自分に自信がない人ではないかと思う。

長時間労働で自己破壊的に働いてしまう人は、自分に高いハードルを課すことで、それが達成した時にえられる達成感や、結果によって評価されることで自分を満たそうとするのかもしれない。


それが上手くいっている間はいいものの、頑張っても上手くいかなかったり、一向に評価されなかったり、自分みたいに破壊的に働かなくても幸せそうにしてる人を見たりすると、「何か」が切れて病になったり自ら死を選んだりしてしまう。



自分に「頑張らなくてもいいんだよ」と言えない。
駄目な自分が許せない。
人生に汚点をつけたくない。



今自分が苦しい状況にいるのに、ずっと苦しい環境に留まろうとしてしまうところが自分にはある。


今苦しい状況でも、頑張って続けていればきっと誰かが分かってくれる。
己を犠牲にして、睡眠時間を削り、飯を食べずに自分を奮い立たせて膨大な量の仕事に向き合う。


評価されるどころか、露になるのは自分の欠点ばかり。
いつも仕事の出来る人と比較して、「何で自分だけ出来ないんだろう」と自分を責める。
上手くやれる人ばかり見て、劣等感を募らせる。


こちらから精一杯挨拶しても周りには無視される。

辛い毎日で心は限界なのにまだ続けてる。


「付き合いが長くなれば、お互いのことが少しずつ分かってきて打ち解けられるかもしれない。」

「続けていれば、仕事のコツのようなものが掴めて、評価してもらえるかもしれない」



仕事を辞めてみて、続けていればどうにかなる問題ではないと分かった。

自分には合わなかったんだ。
だから結果が出なくても仕方がないのだ。
この場所で幸せになれる人もいるけど、自分は違った。



今となっては辞めてみてよかったと思う。

「そこに行かなければよかったか」と聞かれたら分からないけど、そこで自分に共感してくれた人もいて、辞める時にそれが分かったのも忘れられない思い出になると思う。



もし完璧主義的な方で、辛い環境からなかなか抜け出せないでいるなら、一度そこから距離を置いてリセットするのも一つの方法かもしれない。

そうしたら自分の至らないところも受け入れて生きる力をもう一度持てるかもしれない。

自由と責任のはざま

連休終わってしまいましたね。

休みは結局借りてきた本を読んだり、溜まった新聞を消化したり、ふとん干したりしてました。


連休は嬉しいのですが、休めば休むほど月曜の朝がかなり鬱々としますね。
毎日胃腸が辛くなる日々が帰ってきて、朝から「気持ち悪~」となりました。


寝てる間は何も考えなくて済むのがラク。
でも起きると「自分」が起動して、あらゆる現実が迫ってくるーーー。
この瞬間が一番辛かったりする。


大人になると、抱えている現実のデータがどんどん増えたり複雑になって、起動する時にエネルギーがいります。
パソコンとかもデータ容量が増えてくると、起動に時間がかかるみたいな感じに近いでしょうか。



小学校高学年の時に友人が、
「早く大人になりたい。」
と言っていたことがあります。

早く自立したかったのかもしれないですし、彼女は 子供が好きだったので、早く子供が欲しかったのかもしれません。



私は「ピーターパンなんちゃら」とか「モラトリアム」と言われるくらい、「大人になりたくない」と思ってました。


「大人になってよかった」と思える要素は何でしょうか。

飲酒やタバコが吸える(⬅私は吸わないですが)とか、稼いだお金が自由に使えるとか、とにかく「自由」をあげる方が多いかもしれません。
それと引き換えに「責任」もついて回ってくるのが常です。



私は年齢が30を過ぎた今でも、食玩とかガチャポンのようなものが好きですし、新幹線とか電車系のグッズとかが好きで、「どこの少年や。」と言われそうなやつなのです。


年を取るとそういうものって、何か「いい年して……」っていう目を気にしてしまいます。
年配の方で「少年ジャンプ」を読んでる方って、あまり見かけない気がしますね。


私は何となく「大人の方が不自由じゃん?」と思っておりました。
「大人」ならこうあるべき、みたいなものを求められてるからでしょうか。



でも、周りが思うような「べき」を24時間貫いているのも辛いですね。
誰しも時には、「自分がありのままにいられる状態」を生活の中に5分でもいいから取り入れないと詰まりますわな。

運命の人とはどんな人か

今、毎週土曜日に『ボク、運命の人です。』というドラマがやっております。

私は先日出先のTVをつけた時にやっていたのを見てから、所々合間に見たりしてます。


トーリーは30歳ぐらいの独身男性の前に謎の男が現れて、ある女性と彼との間に出来た子供が地球の未来を救うと言われ、見ず知らずの彼女に彼がアプローチをするといった筋らしいです。



彼が初対面の彼女の前に現れて、「ボク、運命の人です。」を連発して彼女から不審がられてますね……。

「そりゃそうだろう。」(^_^;)
と毎回ツッコミながら見たりしております。


でも、人と人が親しくなる最初の「きっかけ」って結構難しいものがありますよね。
漫画のおはなしを練る時も、最初って大事な意味合いを持つ一方で、作り物ですら考えるのが難しかったりします。



ドラマで主人公は営業の仕事をしている設定ですが、営業活動に例えて上司から、
「興味のない人に無理やり売り込むのは押し売りだ」
なんて言われるシーンがありました。


確かに営業活動は「欲しい」と「全く」思っていない人に売り込んでも、効果は全くといっていい程、期待出来ないと思います。

しかし、少しでも「欲しい」かもしれないと相手が思っていたら、脈がないわけではないという話です。


昨日見た回では、最後に彼が彼女に「自分のことを
嫌いでないか」を確認していました。
「嫌い」と言われれば、アプローチを諦めるつもりでした。


「嫌いではない」
と彼女から言われて、彼は舞い上がっていました。


あんなに嫌がっていた彼女が、彼との会話に応じるようになっていました。
一体彼女の中で、何が起きたのでしょう。


やはり「押し売り」でも、毎日目の前に現れて話しかけられたら、気持ちが傾くのでしょうか。




そもそも「運命」って何でしょうね。

私が思うに「運命」とは、何かに向かっている時は気づかないけど、ある到達点に辿り着いて初めて、「運命」だと感じるものだと思います。
「縁」も同じようなもんですよね。


今回のドラマで言うならば、

気がつくとある場所にいて
気がつくと彼女を見ていて、
気がつくと彼女に話しかけていてーー。

誰かに指示されるわけでもなく、相手も気がつくと同じ事をしている。



私が小学生の時に、席替えのくじ引きで何回も隣の席になる男の子がいました。
彼とは林間学校の肝試しでペアになったり、大学時代のバイト先が一緒だったりしました。

でも、まともに話したことがありませんでした。



今は物理的な空間だけでなく、ネット上などの場で不特定多数の方と同じ「場」を共有することも増えました。

同じ境遇にいるだけが「運命」ではなく、自らの行動などの働きかけがなくては、つながりは生まれてこないのだと思います。


私は自信がない人間なもんで、自分の「押し売り」なんて到底出来ない…。(苦笑)

普通の家庭でなくても

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昨日TVの某番組で、虐待された経験がある一般の方が、自身の経験を語られているのを見ました。

辛い過去を誰かに話す時とは、その時のことを思い出しながら語るわけで、こうして公の場に出て語る勇気だけでも感心するところがあります。


彼、彼女は虐待を受けて育ったが故に、人を心から愛せなかったり、反対に人に依存的になったりと、人との関係を上手く築けなかったりします。



私の家庭は機能不全家族と言われているようなもので、私が生まれた時にはすでに、父親の母親に対する暴力が日常的にありました。

暴力の対象は母だけで、私や兄に手をあげることはありませんでした。
私は父親と母親の間に割って入って母を庇い、兄は部屋の片隅でぶるぶる震えていました。


友人の家に遊びに行くと、家庭内の緊迫したような雰囲気は感じられず、父親とも冗談を言い合ったり出来る関係を心底羨ましいと思ったこともありました。



でも私にとって父親の暴力と同様、母親にされたことが記憶に残っていたりします。

最近読んだ本で、子育てでやってはいけないことの3つとして、
①自分のイライラをぶつけない
②(子供の)否定的なことばかり言わない
③(子供の)きょうだい同士を比較しない

とありました。

「うちは全部当てはまる……。ダメだこりゃ~。」
と思いました。


私は小学校に入る前辺りに、夕飯が全部食べられず、台所の片隅で「居残り」させられてました。
何時間お皿を見続けても食べられず、しまいに船をこぎだす毎日でした。

そうすると母に「ここに入ってなさい!」と、黒いごみ袋を出されてしまいます。


仮に栄養バランスよく食べさせようと思ってやっていたとしても、「ごみ袋に入れられた」という記憶が強く残っているだけです。

今となっては、母が余裕がなかったからと理解する部分はありますが、もう少し他の方法はなかったものかと思います。



学生時代ぐらいまで漠然と「普通の家庭」に憧れていました。
お金はあった方がいいけど、生活していけるぐらいあればいいし、何より両親の仲がよいのが一番だと思っておりました。



自分が育ってきた環境が恵まれていないと、他の人より心に大穴があいた状態な気がします。

私の父親はギャンブルやお酒でその穴を埋めようとしていたのだと思いますが、ギャンブルや過度の飲酒は一時的にはごまかせても、寂しさが増すものばかりです。



私はずっと「父親のようなはならん」と自分を戒めてるつもりです。
母は今でも私の気に入らないところがあると、「父親に似てる」と非難するわけだが、「そんなの関係ねぇ!」といつも反発したくなります。


私は本を読んだり、変な絵を描いたり、変な写真を撮ったりして大穴を少しずつ埋めています。
自分に何が合うか、心のままに色々始めて辞めてすればよいかと思っております。


心の穴を埋めようと誰かに依存的にならず、人に何かをしてもらうばかりでなく、誰かに返していくことで心満たされるような人生が送れるとよいですね。

縁の下の力持ち

先日仙台城に行った時におみくじを引きました。


年始めの記事でも書きましたが、初詣の時に引いたおみくじ……末吉だったのですよ。
何か今年は波乱万丈な一年になる気がしておりました。


仙台城の入り口付近におみくじがあって気になっていたのですが、一年に何回も引くと何か「浮気した」ような後ろめたさを感じるところもあったのです……。(~_~)

でも帰りに見たらやっぱり気になって、引いてみることにしました。
種類が5つもあってどれを引くか迷いました。

下の写真を右から、
・男みくじ
・女みくじ
・恋みくじ
・普通の(?)みくじ
・強運みくじ
がありました。

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一番右はないとして(笑)、2番と3番目は恋愛系しか載ってなさそうだったので、総合的に載ってるのが欲しかったので左2つで最後悩みました。


やっぱ「強運」って惹かれますよね。



がさごそ…………えいっ!



電車の時間が迫っていたので、その場で見ずに退散しました。




電車の中で広げてみました。
結果は「吉」でした。


書かれている内容が心に染みて、正直うるっとしてしまいましたよ。



「今の縁を大切にすること。我儘をいったり自分勝手に振る舞ったらせっかくの縁も駄目にしてしまいます」



職場を何度か変えましたが、転職活動をして色んな会社を見てきました。


私が新卒で入った会社は、履歴書に書けばほとんどの方が知っている会社でした。

なかなか書類選考で通らなくて、やっと面接で呼ばれて行ってみたら、私自身のことでなく、その会社の業績はどれくらいか聞いてくる会社もありました。

そんなの経理部門でない、しかも一ヶ月しかいないぺーぺーが知るはずもなく、知ってたとしても言えるはずもないのに、そんなことのために呼ぶのは不誠実だと思いました。



でもそういう会社ばかりでなく、今の自分を見て真剣に雇うことを検討している会社もありました。

勿論「最低限経験していて欲しい業務」というのが会社それぞれにあって、書類選考で全く相手にされないケースもあります。


しかもそれも「縁」のうち。
そこに行く運命になかっただけのこと。


元々私はスピリチュアルとか占いとか、ガチで信じてるタイプではないのですが、30うん年の月日を振り返ると、これまでの歩いてきた道に「縁」のようなものがをあるのではないかと思えたのです。



今の会社はまだ3ヶ月ぐらいしかいないので、この先も続けていけるか分からんではあります。

私はかなり不器用で、仕事でイレギュラーなケースが発生するとフリーズしてしまうことが多いです。
それでも周りの方がフォローしてくれてるのを感じて、「頑張らねば」と必死こいてます。


先日利用した施設で、対応してくれた男性がめっちゃ不器用な方でした。
でも彼より若そうな女性従業員の方がフォローに入っていました。


一見「接客業向いてないんじゃね?」と思える人でも、周りの協力があればこなせる場合もあるのだと思います。


どういう人が働いてるかとか、どういう環境かなんて外部からは分かりませんが、辿り着いた場所には何らかの「縁」のようなものがあるかも知れませぬ。

私が働いていた会社がたとえ有名で、自分の好きな商品を扱っていても、自分に合わない環境だったら働き続けられんです。



こうして駄文を世に送り続けているブログも、何かの「縁」で始めたのでしょうかね。
読んでくださった方には、この場を借りてお礼申し上げます。(>_<)

ワーキングプアの連休

連休が始まりましたね。


連休の過ごし方は、今自分がどういう状況にあるかによっても異なるかと思います。
ざっくり分けるとこんな感じでしょうか。

①休みもお金もある人
②休みはあるけどお金はない人
③お金はあるけど休みがない人
④休みもお金もない人


①休みもお金もある人
これは簡単に想像つくと思われますが、収入もあって福利厚生が整った環境で働いている方。

業績がよかったり安定した仕事をしていて、比較的休みが取りやすい企業に勤めているとか、フリーで働いている人の中で、お金や休みにゆとりがある方などでしょうか。

私のような者には一生縁がないでしょうね…。(^_^;)


②休みはあるけどお金はない人
カレンダー通りには休める会社に勤めてても、収入が少ない方とかかな。
あと無職の方とか学生の方とかもそうかと思います。


無職で仕事を探してる時って、連休はかなり辛いんですよね。
ハローワークは休みだし、連休に休みたい場合、応募先の会社も休みのところが多いから実質何も出来ない。
しかもお金はないしで鬱憤も晴らせない!


今の私は働いてますが、一番ここに近い感じでしょうか。
一応連休はもらえるけど収入が…………。

遊びに行きたくても家でいじいじしてるしかないっ!


③お金はあるけど休みがない人
これは業績がよくて収入に還元されるけど、人手が足りなくて休めない環境にいる方でしょうか。
今売れている芸能人の方もそういう人がいますよね。


私が前の仕事をしていた時は、どちらかというとこちらに近いかなと。

私の場合お金があるって言っても、「今よりは」っていうだけで、本当残業やら休みが少ないのに、自活していける程の収入でもなかったので、何もよくなかったですね……。(~_~;)



④休みもお金もない人
これは一番辛い状況ですね……。
仕事が忙しいのに収入は少ない。

人が休みの時に忙しいサービス業の方なんかはきっとこういう環境にいらっしゃるのかもしれません。


連休で浮かれてる人もいれば、シビアな現実を生きてる人もおられるかと思います。



私は今の仕事を始めて今月で3ヶ月目になります。

五月の連休後って、「五月病」って言われるくらい学業でも仕事でも危機的な状況になる人が多い時です。

私もちょうど今の仕事の「いい面」も「よくない面」も見えてきて、一喜一憂している頃かなと思います。

収入は以前より減ったので、ホント生活かつかつですよ。
私の母は毎月病院に通院していて、医療費が結構家計を圧迫しているところがあります。



働き方は人それぞれかと思います。

私は親を支えていかないといけないので、少額でも定期的に収入があって、休みも不定期でない仕事を選択しました。
正直「働いても働いても我が暮らし楽にならず」ですよ。


仕事を探している時、気になる仕事はいくつかありましたが、全然生活していけるレベルの収入ではないんですよね。
例えば図書館司書とか。
人気がある職なのに、それだけでは自活するの無理ですよね…。

今は失業率が回復しているのかも知れないですが、「求人がある」=「生活していける」ではないですよね。
働いていても、働けなくても、生活していけない状況の人が多すぎる気がします。



私は今の状況を受け入れて、ワーキングプアワーキングプアなりにやっていくしかあるまいと思っております。
少ないながらもお金を貯めて、旅したり、何か勉強したりして慎ましく生きていくつもりです。

心が通わなくなる日

昨日田舎から、いもが届きました。


田舎の祖母はずっと農業をしており、最近は自分が食べる用に野菜を育てていて、食べきれない分はたまに送ってくれます。

じゃがいもが大好きなのと、貧乏暮らしには食料を送ってもらえるだけでもかなりありがたいので、いつも助かっています。


お礼に電話をかけました。

私「荷物届いたよ~。」
祖母「そうか。」
私「どう、元気にしてる?」
祖母「じゃあな。」

ブツッ。プープープー。



最近はそんな感じです。
こちらから電話をかけると早々に切られてしまいます。


いつからだろう。
何か「会話」をしてる感じがしなくなったのは。


祖母が用事があって電話がくる時は、こちらが聞き返す間も与えないぐらい一方的に話していることが多いのです。

方言や私の知らない話で少し考えてしまう時は、
「おいっ、聞いてんのかー?」
と語気を強めて言うのです。


私が仕事を辞めて無職の時も、辞めた話はしたはずなのに、
「今何やってんだ?おい?」
と何回も言われ、何だか無職を責められてる気分になって涙目になったこともあります。



昔はそんな人じゃなかったはず。


田舎に帰って母親に怒られてしおれてる時も、笑ってなぐさめてくれてました。

田舎からこちらに帰る時に玉子焼きとおにぎりを持たせてくれて、それが私は大好きでした。



今となっては祖母の態度にも慣れてはきたものの、初めの頃はかなり落ち込みました。
元々持っていた性格なのか、加齢によるものなのか、定かではありません。


私の母は親の言うことを聞く素直な子供だったようで、私は昔の話を聞く度に、「ずっと言いたいことを言えずに我慢してきたのではないか」と思いました。

「生きている間にしか言えないから、今のうちに言っておいた方がいいよ。」

と母に話しました。


母は何度か試みましたが、祖母の反応を見て、私は「遅すぎた」と感じました。

耳の痛い話は全て「忘れた」と言うのです。

本当に忘れてしまったのか。
ただ聞きたくないだけなのか。


私はもう少し早い時期に、「会話」というもの自体をかわせる時間がもっとあればよかったのにと思いました。
母は父親が家で暴れていたせいで、生活していくだけで精一杯になっていました。

子育てが落ち着いて、やっと時間ができたと思ったところなのに。



私は今親がそばにいて、言いたい放題言える環境で恵まれているのだと思います。