夢は夢のまま

教科書もマニュアルもない人生という学校で、共に学び、支え合い、卒業を目指すためのブログ。

どうかしている人たち

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先日会社でのお昼ご飯に、セブンイレブンで買ったUFOみたいな形のパンを食べました。

中に生クリームがたっぷり入っていて、甘いものがお好きな方ははまるかもしれません。



これです。

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(カロリー高めらしいです)


結構気に入ったので、母にも食べさせようと1つ買って帰ったら、家にこのUFOパンが2つもありました。


「ぬ?(@_@)」



どうやら母がセブンイレブンに行く用事があって、見たら美味しそうだったからと私の分と2つ買ってきたらしいのです。


母とは最近、同じお店(スーパー)に別々に行って、買ってくるものがかぶることが結構ありました。
結果冷蔵庫になすだらけ、とかになってしまったり。(笑)



似てる、といえば髪型についても。

私は最近髪を伸ばしておりますが、あんなに私に「髪を短くしろー!」と言っていた母が前より伸ばすようになりました。
私にとっては驚き桃の木山椒の木です。



やっぱり一緒に暮らしてると似てくる部分はあるのでしょうか。
よく夫婦を見ると、顔がどことなく似ているように見える時もありますからね。


まあ似てくる部分もある一方で、価値観の違いから衝突するのが世の常ではないでしょうか。
それは個人間レベルから国家間レベルに至るまで、いじめやケンカから戦争にと、争いは絶えることはありません。



私は現在30代前半ですが、この歳になってもほぼ人との交流がなく、話すのは会社の人か家族ぐらい。
そんなままで一生を終えるような気がして、時折寂しさでうんうんとうなりそうな時があります。(笑)


自分から話しかけた人が自分に関心があるわけではないので迷惑だろうなと考えて、自分に話しかけてくれた人となら大丈夫かしらーといつも受け身になってしまいます。

会社では大抵先輩が話かけてくれるので、ちらと話すくらい。



皆育ってきた環境も違うし、特に価値観が多様化している現代で、似たような価値観で生きている人が自分以外にもいたら、それは奇跡じゃないかーと思ってしまいます。
(私自身へんなやつなので、似たような人がいたら腰を抜かすだろうね。)

結婚されてる方は、どこか相手に自分と似たような部分を発見されて一緒になられているのだと思います。



価値観が似ている人と一緒にいる方が「ツーカーの仲」になりやすいですし、お互い心理的負担も少なくて済みますよね。
とはいっても完全にピタリと合う人なんていないので、長く付き合っていく中でお互いに合わせたりして、「同化」していくものなのかもしれません。


相手に合わせ過ぎるのも窒息しそうですし、かといって我を通しまくったら関係が成り立たなくなってしまいますからね。

付かず離れずのバランスというのが一番難しいですね。

田舎が遠い《後編》~思い出をたどる編~

前回に続き、田舎に帰省した話です。


お昼前頃には現地に着きました。
祖母は掃除機をかけていたところで、忙しそうでした。

私と母は仏壇に線香をあげてから、お墓参りをしてきました。
お墓の墓碑には私の先祖の名前や没年などが刻まれており、母の実父が33で亡くなったことを、改めて早すぎたと感じました。



戻ってから祖母とあれやこれやと話してました。
祖母がお昼御飯を用意してくれて、一緒に食べました。

少し前に電話で「(うちから送った)昔の写真が出てきた」と祖母が言っていて、私が茶碗を洗っている間に祖母と母がそれを見てました。

私も戻ってきて「どれどれ~」と参加しました。


とにかく母が若い。
日付が1987年のものがほとんどで(昔は写真に日付が入ってたのね~)、私と兄がまだ小さくてちょろちょろしてました。

そして20年ぶりぐらいに見る父親……。


私の顔や体質などは父親に似ている部分が多いのです。
ずっとそれが自分を受け入れられない原因の一つでもありました。
今でもそれは変わらないし、今となっては内面だけは同じになるまいと念じるようになってはいるけど、そこに至るまで一杯悩みましたよ。



帰省中に会う予定の母の友人は、祖母の家から少し離れたところに住んでらっしゃるので、12日の夕方には祖母の家を出て、移動したところで1泊しました。
あまり電車の本数がないので、いつも日帰りした時とさして変わらぬ滞在時間でお別れになってしまい、家を出る時祖母はやはり寂しそうでした。



翌日母の友人と会いました。
午前中はお墓参りがあるとのことでお昼頃に会うことになりました。

午前中は空いていたので、近くにあるお城に観光してきました。
私が小学校中学年頃に行ったっきりで、もう一度行ってみたいなとは常々思っておりました。

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母は疲れて「天守閣の階段がキツイ」と言っていたので、一人で流れるように見てきました。
幕末とかお好きな方は一度は行かれたことがあるかもしれないですね。

お城の内部にお土産屋があったので、母にお土産を買って戻りました。


その後母の友人がお城まで迎えに来てくださり、私たちが帰る駅の近くで一緒に食事しました。
私がいたらお邪魔かな、と思っていたら、気さくな方で私も同席することになりました。


私は学生時代にいじめられたり、人付き合いが上手い方ではなかったので、こうして歳を重ねてから会うことの出来る友人がおらんのです。
だからこうして同じ思い出を共有できる人が一人でもいることが羨ましいと思うのです。



母の友人を通じてこの街の変化を知りました。

私がこの辺りに来たのは20年前ぐらいなるので、変わっていても不思議ではないのですが、随分お店が減って寂しい感じがしました。



今回の帰省は、時の流れを強く感じさせられるような旅になりました。
懐かしの場所にも時は流れて、日々消えては生まれてを繰り返しているーーー。



明日のことは誰にも分からないから、今出来ることは可能な限り実行するべきだと思いました。

私の祖母も母の友人も、どこか母に「会う機会」を待っていたような感じがして、今回はばたばたしてしまいましたが、会いに行ってよかったとつくづく感じました。

田舎が遠い《前編》~チケットが取れない編~

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8月の12、13日と、1泊2日で東北の田舎に帰省してきました。
かなりハードスケジュールで、帰ってきたら熱を出して1日臥せてました。(~_~;)



元々田舎に帰ろうか迷っていたのです。

仕事が多忙でよれよれだし金欠なので、お盆休みは図書館で借りてきた本でも読んで、ゆっくりしようかと思っとったのです。

でも、こんなまとまった連休があるのもこの先あるか分からんなと思ったのです。


私の祖母は80歳を越え、まだ自分で動けるくらい元気ではありますが、悲しいことにそれがずっと続くとは言えないのです。

叔母(母の妹)が早くに亡くなったこともあって、母には会える時に祖母に会っておくべきと常々話しておりました。

母には故郷に中高の頃の友人がいて、年賀状だけのやりとりをずっと続けていたのですが、時々彼女との思い出話を聞くこともあったので、大切な人なら会っておくべきという思いが同時にありました。


地図で見ると近くに思える距離も、いざ行こうとなると遠く感じられるものです。
でも何かしら自分で行動を起こさないと、なかなか会う機会なんて生まれないのです。


そういう事情があって、いつもは日帰りで田舎に帰り、いそいそと帰ってくるのですが、今回は1泊泊まりで行くことになったのです。




そんなこんなの事情で、田舎に帰る決心をして電車の時刻表を眺めたのは11日のこと。

田舎に帰るのに、いつもなら朝早くに駅のホームに並んで、電車の席取りをして、乗り換え1回の鈍行列車に5時間くらい揺られて帰るのですが、時刻表をひさしぶりに見てびっくり。


「え"っ、電車ないじゃん!!!!!」



最近新型車両が導入されたのは知っておりましたが、乗り換える駅まで指定席なしで1本で行けてた電車が 全て指定席の特急に変わっておりました。

慌ててチケットを取りに駅に向かいましたが、行きはことごとく「満席」とのこと。
帰りの電車は母と私の2席離れるけど取れるとのことでした。



「行けなきゃ意味ないんじゃー!」



そもそも指定席を前日に取ろうというのが無謀な話。ましてやお盆休みの土曜日……。
駅に来る前にこれも空いてるところを探しまくって宿も取ったのに、これは諦めるしかないかと。


時刻表を諦めモードで眺めてたら、普通列車を4回乗り継げば行けるのを確認しました。

「4回……。」

とは思いましたが、行くにはそれしかないんだから、と腹をくくりました。



元々途中駅までの利用者が多い路線でしたし、最後まで乗りたい乗客にとっては時間がかかり過ぎる路線ではありました。

仕方ないといえば仕方ないのですが、これまでのように「じゃあ明日行こう!」の気軽さはなくなってしまいました。
前々から計画を練らなくては田舎に行けなくなって、かなーり窮屈な感じがしました。




というわけで、行きは乗り継ぎ4回で行くことになりました。

朝は5時半ぐらいに家を出る計画でした。
母は私より支度に時間がかかるので、4時頃には起きるつもりでした。

荷造りやら何やらで寝たのが深夜2時頃。
「2時間しか寝れんな~」
と思って目が覚めたのは朝の5時……。



「うそっ、5時!!!!!!!」


もう日汗が止まりません。

母を何度も起こしてもすぐ寝てしまうし、朝御飯を流し込んで、フル回転で準備し、母を引きずるようにして駅まで走りました。

雨が結構降ってきていたので、傘を差しながら、母の荷物と自分の荷物を抱えて、朝から障害物競争状態でした。


何とか電車には間に合い一安心。
私はまた寝過ごしたらヤバイと、かなり気を張ってました。
いつもならお弁当でも食べて、のんびり外を眺めてられたのに……。



空模様は目まぐるしく変わっていました。
晴れたかと思えば雨は降ってくる、の繰り返しでした。

➡次回につづく

体力かお金かの持久戦

仕事で7月から新しい担当を持つようになりましたが、それから今までの忙しさに輪をかけて、ホント忙しさMAXのやばい一ヶ月でした。


少し前のニュースで運送会社の長時間労働が問題になっておりましたが、思うに同じような問題を抱えてる会社は結構多いのではないかと感じます。


私が前に勤めていた会社は、業務量は増えていくのにそれを捌く人は全然増えませんでした。
離職率が高く、私がいた1年何ヵ月の間に10人近くが辞めていた気がします。

もともと人手が少ないのに、あまりの業務量に疲弊して人が次々に辞めていく……。
負の悪循環としか言いようがありません。(~_~;)



一方で働きたくても働けない人がいるのが、今の日本なのかと。
今は売り手市場と言われておりますが、それは20代前半とか若い方に関係のある話です。


私自身30代で転職活動をして、20代の時より応募できる求人数が減ったのを実感しました。


少子高齢化の影響もあって人手不足問題はニュースなどで聞く機会が増えましたが、かといって就職しやすくなったわけではありません。

実際に仕事を探すと、年齢や経験という見えない壁に阻まれるのです。

企業がこれまで正規雇用の採用を押さえていた分、これからの会社を見据えて若い人を育てようという感じがあり、やはり20代の若い人の方が有利な状況があるのです。

それでも30代を採るとしたら、業務経験があって、基礎的な部分を教えなくてよく、すぐに仕事を入ってもらえる、という部分だと思います。
(私は何年か前に就職活動をした時、新しい仕事をやってみたくて未経験職種に応募してましたが玉砕しましたね……。)



となると、仕事で実務経験を積めず、歳を重ねた人はどないするねん、というのが今議論されるべき問題かと思います。



今の日本は長時間労働の人がいる一方で、働きたくても働けない人がいて、その二つが二極化している気がします。

もはや「体力かお金かの持久戦」か!
と言いたくなります。



私は以前の職場よりは労働時間は減りましたが、無理をしたせいか体力が大分落ちました。

ブログも書こうと思う話題はあっても、書く時間がなかったり、疲れきって顔にスマートフォンを乗せたまま寝てることもありました……。(T_T)



働き方は人それぞれで、何を優先するかは違うと思います。
若くて体力のあるうちは少し頑張ってお金を貯めるのもよいし、自分の時間を大切にしたいなら短時間で働くのもよいかと思います。

どちらも確保できるのが理想ですが、働きすぎるか、収入が少なくて生活出来ないかのどちらかになってしまうのが問題ですね。


私自身現状がベストとは言えない(収入が少なくて生活出来ない!)ので、いい方法がないか模索中です。

続けるか辞めるかの選択

ここ最近、ブログを続けるか否か考えておりました。
これまで何度か辞めようと思ったことはありますが、今までで一番そう感じたのでどうしようかと。


あれやこれやと考えてたら、そもそも何でブログ始めたんだっけなんて思って、始めた頃のことを少しだけ振り返ってみました。



去年の今頃は前の職場におりました。

やってもやっても終わらん仕事と、同僚から無視される環境で正直体力的にも精神的にも限界に達していたかと思います。


年齢的なものもあるので、転職はこれまでにするつもりで入社したわけですが、この環境で一体いつまで働くのか、考えただけでも気が遠くなりそうでした。



「今のこの環境を変えたい」




これから先どうしたらよいか分からず、本や新聞やインターネットとあらゆる情報を探し回りました。
「辞めない方がいい」、という話と、「辞めた方がいい 」という話は五分五分ぐらいにあって、


「一体どうすりゃいいのさー!」


ともんもんとしておりました。



でもこのまま働き続けて、過労死したり自ら命を絶つことも、辞めてお金がなくなって生活出来なくなって飢え死にするのも同じ結末じゃないか、と。
だとしたら、後者の方がいいのではと。


自分の人生を諦めているつもりでしたが、とことん追い詰められて、それでも「まだこのまま終わりたくない」という思いがあったのかもしれません。




8月には会社に退職の意志を伝えました。
ブログも同じ頃に始めました。
(最初の頃は記事自体は書いてませんでしたが……(~_~;))


ブログは、私のこれまでの失敗話や体験談が、私のように人生に悩んでる人の役に立てればというのがありました。
あとは、新しいことを始めてみれば、何か今までの人生が変わるきっかけになるかもしれないという期待もあったのだと思います。


人生に悩むのはよりよく生きたいからであって、新しい環境を求めるのは、そこに活路を見出だしたいからなんですよね。



一度始めたことを続けるか辞めるか決めるのは簡単ではないかもしれないです。

けれど、決断して行動できるのは結局本人だし、置かれてる状況も様々だから、「こうすれば正しい」といった方程式なんてないんですよね。


だけど、皆何のマニュアルもない見えない未来に向かって歩いていくわけで、先人の方だって他人の経験や過去の出来事を参考にして生きていたのだと思います。


人間の数だけ体験談があれば、どこか自分と重なって何かのヒントになるかもしれない、と思ったのです。



今の選択がよかったかどうかは、後になってみないと分からないもんです。
取りあえず私は、前職は辞めてよかったと思っております。


ブログについては辞めるか続けるか分からんですが、過去に積み上げた記録は今を見つめ直す財産になるかなーとは思います。

小説『ひとりぼっちのあいつ』の感想

『ひとりぼっちのあいつ』(伊岡瞬著、2015)という小説を読みました。
新聞の書評で紹介されていて気になったのと、何となくタイトルに惹かれたというのもあります。

最近本を読むスピードが落ちてるので、厚めの本は避けてましたが、400ページ以上にひさしぶりに挑んでみました。うげっ。


ざっくりあらすじを書くと、ある特殊能力が使える男性(大里春輝)の人生と、ダメダメ若手サラリーマンの(宮本楓太)の人生が、楓太が春輝の能力を目撃したことで何度も交差していくストーリーです。


全体としては、春輝が特殊能力を持っていることで身に降りかかる悲劇として延々と語られている印象があります。
ですが、前半は春輝のミニバスケのレギュラー争いの話や女友達の家に初めてお邪魔して緊張してうんぬん、というところが青春小説みたいで結構好きです。



春輝が最初に自覚している能力は、物体を空中で静止できるといった能力で、初めは家族のみしか知られていませんでした。

小学生の頃、その能力を「秘密だから」と約束して彼が親友(小田尚彦)に見せたところから悲劇が始まります。(⬅この友人が結構くせ者……)

親友だと思っていた尚彦の裏切りにより、その能力が世間に知れ渡り、彼を利用しようと近寄ってきたり、彼が得をした出来事は全て「能力」を使っているからと非難の目で見たり、噂話を信じて好奇の目で見る者が現れます。


それが学校を卒業しても、就職しても延々と続き、職場に居づらくなっては辞めを繰り返し、果てはホームレスになるわで、結構読んでいてしんどいものがありました。
この辺りは、就職氷河期の頃の話とからめて展開されてましたので結構気になる部分でした。


春輝はホームレスになり、極力人との関わりを避けておりましたが、寝泊まりしている公園である傷害事件に遭遇します。
被害者(鶴巻)は何物かに首を刺されて血塗れになっていました。

春輝は関わりたくない一方で、過去に助けられなかった女友達のことが頭をよぎり、自分の力を試す意味でも鶴巻の傷口に手を当てました。

結果春輝の特殊能力は鶴巻の傷口を治すのですが、傷を治したことで、本人の意志に関わらず、好奇の目を向けられたり、利用しようとする近寄ってくることに拍車がかかります。



この小説ではお金の話や家柄や身分といった話が結構絡んでくるけど、そういう権力めいたものも言うなれば「魔法」のようなものだと思います。
お金が人を狂わせ、お金があれば何でも出来るとの幻想を抱かせるのかもしれないですね。

小説ではそういう人間の「負の部分」を書こうとしたのでしょうか。


でも、特殊能力を持つ息子を心配し支えていた春輝の母親や、特殊能力を持つ春輝を特別視せず友達でいようとした女友達(真澄)を次々に死なせてしまうストーリーはホントに救いがなさすぎると思いました。

最後に春輝の力で救った(らしい)鶴巻を、またしてもナイフで刺されて死んでしまうラストにするのも悲しすぎました。
力の副作用で喉の癌にかかってしまうという筋はありかな、と思うけど、病気で死んでしまう前にこういう形で死んでしまったら、彼を助けた春輝が救われないなと思いました。



ラストの終わり方は、「別の人が書いたのか?」というくらい、今までの悲劇がひっくり返ってしまっていて、無理によい話にまとめず、悲劇なら悲劇のまま突っ走ればよかったのにと思いました。



でも私が惹かれたタイトルは、よかったと思います。

何もなく幸せそうに見える人でも、皆誰にも相談出来ない秘密を抱えていて、誰もが『ひとりぼっちのあいつ』なんだろうなと思ったり。

それが何かのきっかけで出会って、親しくなって、何かあると放っておけなくなるーーー。


賛否両論ありそうな小説だけど、今まで私が読んだことがない感じの小説で、登場人物のキャラクターも立っていて面白かったです。



それにしても……。
この小説は書評をきっかけに読んだけど、書評って結構難しいとつくづく感じました。(~_~;)

親の面倒は誰が見るのだろう

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ここ最近の記事で、一人暮らししている私の兄が家にやってきてうんちゃらと話してましたが、先週末にも来ました。

そのせいで疲労感MAXな一週間でした。
今は山の頂上から「バカ兄貴ー!!!!!」と叫んでやりたいぐらいです。


というのは。



私は現在母と生活しておりますが、母は30代に見つかった病気でずっと通院してるわけです。

今日明日の命に関わるような状態ではないけど、無理をしたら危険であって、通院しながら薬を飲んで様子を見るしか方法はないらしいのです。


今より医療技術が進歩していない時代だったので定かではないのですが、母の実父は恐らく似たような病気を患っていて、家族を養うために無理して働いて33歳でこの世を去りました。



私は幸い丈夫に生んでもらったらしく、今まで大病を患ったことはないですが、母に無理をさせるわけにはいかないのでせこせこ働いております。

でも、私の所得だけでやっていくのは結構かつかつで、家事とかそういうもんは私がやるので、兄には生活費を助けてもらっていました。




それが先週兄が家に来て、今後は生活費は出せないと言われました。
理由は「結婚費用を貯めるため」ということらしいです。

今は「何かあった時のため」と近くに住んでおりますが、将来的には彼女の家の近くに住む予定でいる
らしいのです。


これだけ聞けば「仕方ない」と分かる話でもありますし、兄には幸せになってもらいたいと思っていたので、「代替え案」を考えなければという話にもなるはずでした。



でも話を聞いていると、「親が自分の幸せを阻んでいる」ような言いようで、妹と協力して母の面倒を見ていこうという思いより、妹に全部押しつけてでも幸せになりたいという感じでした。

お金の面については「生活保護を受けてくれ」と言われました。




前回兄が私の今を見て、「私が幸せそうじゃない」と言って心配してくれてるのかと思って号泣してしまいましたが、その涙を返せ!と言いたくなる。

今思えば私がちゃんと定職について、母の世話をして欲しいがための口実だったのかもしれない。

世間の普通の女性だったら、これじゃ婚期を逃すかもしれないと心配したりするよね。




私が腑に落ちなかった話は、兄の彼女についても。

兄を通じて聞いた限りでは、経済的に兄に全面的に頼らざるを得ない状況ということなのです。
今の時代、男性一人が家族を養える収入が得られるわけではないので、彼女にも少しでも協力する覚悟をもって支えて欲しいのです。

兄が高給取りなら何も言わないけど、そのうちキャパオーバーするのではないかと本気で心配したのです。


兄はただでさえ沸点が低いので、「お前のようなヤツに言われたくない」とキレて話が終わりました。
「お前のようなヤツ」というのは、この前私が「発達障害」かもしれないと話したからだと思うけど。


今まで兄は「そういう人」だったから、今更驚いたりはしない。

私が大学入試に落ちまくって入った大学を「三流大学」と何度も馬鹿にしてきたし、私が働いてない時は「無職のくせに」と何度言ってきたことか。



何か、もう何がよくて、誰が正しいのか分からなくなりました。
私は古い頭の人間で、もっと柔軟に考えればよいのかもしれない。

でも何だろう……。解決出来ない心に残った大きな失望感。




確かに親の世話に縛られて自分の人生を生きられないのだとしたら、不幸かもしれません。

「子供は親の面倒を見なくてはいけないのか?」


と何度も自分の中で考えても、答えが出ませんでした。



最近では「子供に面倒はかけられないから」と、身の回りの準備をしている親御さんも増えてきていると思います。
その一方で、男女問わず親の介護のために離職している人の話も新聞で読んだりしました。


私は「すべき」かとかは分からないけど、母が子供のために自分がやりたいことを我慢してきたこととか、私が学校でいじめにあった時も味方でいてくれたとか、そういう思いがあるから、頑張ってるだけだと思います。

この世のどこかに生きているであろう父親に関しては、世話をしろとお金を積まれても断固拒否するかもしれない。


何が「正しい」かなんてないんだろうね。




うちのごたごたをブログに書くのもどうかと思ったのだけど、ブログでたまに社会問題的なものを取り上げたいと思ったりしてるので書いちまったよ。


兄の友人は大手企業とかに勤めてる人とか多いけど、そういう人たちに劣等感を抱き、私のようなヤツを馬鹿にして優越感を抱いてる状態が幸せとは言えないんじゃないかと思うよ。

幸せとは自分の心に正直に向き合って、その欲求に応えていく自己満足の世界だと思うのだけど。
貧乏だけど、そういう意味じゃ私は幸せの内にいるのかもしれない。