夢は夢のまま

教科書もマニュアルもない人生という学校で、共に学び、支え合い、卒業を目指すためのブログ。

人間の価値

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私は現在、フルタイムで一週間の半分以上は働いております。

生活するための労働とはいえ、この働いている時間を他の活動に充てられたらどんなにいいだろうか、と常々思っております。


以前TVの某番組で、駅にいる人を捕まえて、(仕事があるなら会社に許可を取って休ませて、)その人がやりたいと思っていたことを一日させるーーーー
といったものがやっておりました。

声をかけられた人は、急に会社を休めと言われて戸惑いますが、「この機会に……」と企画に乗っかってくれる方もいます。


「行きたいと思っていたのに行けなかった場所」に行ったり、「やりたいと思っていてなかなか出来なかったこと」が出来る。
そうして過ごした一日はとても充実していて、参加された方のその表情も初めと比較すると、とても満たされたように見えました。



こんなふうにして毎日を過ごせたら、幸せな人生だなと思います。

人の人生に限りがあるからこそ、この長くも短い時間を大切にしたいと思っている人が多いはずなのに。


それなのに現実は…………。


この番組内でも、企画に参加したい気持ちはあっても、「時間が取れない」、「休めない」という方が多かったように感じました。



例えば仮に、皆がお金がなくても生活していける状態で、「生活のために働く」必要がなく、やりたいことで好きに一日を過ごせるようになったら、世の中どうなるだろうか。


私は取りあえず国内で行きたいところがいくつかあるので、まず電車に乗ってーーーーー





ん?

皆が好きに生きるようになった時、電車は動いているのかしら?
(今電車の運転手をされてる方は、「仕事だから」してるのか、「好きだから」しているのか、それとも両方?)


電車が動かなければ徒歩か自転車 (車を持っている方なら車)で移動することになるわけで。



で、行きたい場所に何らかの手段で向かったとして「あー疲れたし何か食べたいな」と思ってお店を探すと……。

はて、コンビニや飲食店はやってるのかしら?
(同じく、今コンビニや飲食店で働いている方は、「仕事だから」してるのか、「好きだから」しているのか、それとも両方?)


もしどこのお店もやっていなかったら、念のため持参したおにぎりを食べる私。
買ったやつではなく、朝早く起きて自分でにぎにぎしたやつ。



なんてね。


そこまで極端なことにはならないだろうけど、社会を維持していくために誰かがやらなければいけないことが仕事というモンなのだろうね。

私はやりたいことをするために、自分の限られた人生を使って、自分の出来ることをして、それをお金に替えているだけのこと。



「命は皆大切」
っていうけれど、本当かしら?

「人生の価値も皆平等」
って私は思いたいけど、現実はどうかしら?


同じ時間働いて、同じような仕事をしている人でも、それに支払われる対価は平等ではないかもしれない。
同じように人生の時間を提供していることには変わりないのに。



人間の価値は、どれだけ世の中で「有益なもの」を生み出せるか、で決まってしまう傾向にある気がします。
「有益なもの」を多く生み出させる=「地位や名誉がある、高収入」といった目に見える分かりやすい指標で語られてしまうのかもしれません。


私の今の収入は生活していくのに精一杯な感じです。
私の場合、やれることが少ないから低収入なのかもしれません。


でも何もない私でも、ブログを書いたり、絵をかいたりは出来ます。

それが価値のあることかと言えば怪しいですが、何が人のためになるか分からないけれど、日々の中で、考えたり感じたりしたことを形にして、常に世の中に与え続けることが、その人の人生の価値になっていくのではないかなーと思います。

それはボランティアや子育てといった、お金がもらえるような活動でなくても、自ら考え、自ら動き、自ら与え続けることが大事ではないかと、私は思うのです。



これからの世の中は、私が先にヘンな例で出した電車の運転や、飲食店の営業も人工知能で回されていくのかもしれません。
そうなれば仕事に充てていた時間が減って、その分自分がやりたかった活動に充てることが出来るようになるかもしれません。


たとえそのような世の中になったとしても、常に世の中に価値を生み出すという姿勢は維持していきたい、と思います。